ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.48

止め肴 その弐

「オウカガイ ヲ タテルール」

 どの組織にも、コトを円滑に進めるためのナニかしらの「ルール」があったりする。

 ソレはソレでソレなりに、存在価値も理由もあると、私は思っている。が、しかし、Aくんは、どうしても納得できない点があると言う。

 Aくんが、納得できない、点。問題視している、点。ソレは、そのルールが、あまりにも保身の臭いがしすぎているという点。と、もう一つ。悲しいほどの「タテ」ルールであるという点。なのだそうだ。

 以前からAくんは、「ヨコ」ルールでなければならない、と、主張する。

 そう、タテではなく、ヨコ、ルール。

 彼の独特の言い回しで、いつもながらのわかりにくさではあるけれど、「ヨコ」間の絶妙な調和がなければ、上下関係の単なる「お伺(ウカガ)い」に過ぎなくなってしまう、というその指摘に、さほど違和感はない。なぜなら、そうした「お伺い」には、「お伺いを立て」ルールには、どうしても、「怯(オビ)え」がへばり付いてしまいがちだからだ。

 そう、お伺いには、お伺いを立てルールには、怯えがへばり付く。

 このコトは、Aくんの持論である、あの、「『怯え」』は『萎縮』を生む」理論にも繋がっていく。

 そう、そうした怯えは、必ずと言っていいほど萎縮を生み落とすのだ。

 そして、この「タテ」ルール。あの「ホシンヒューマクン」や「ブナンミン」たちの、近年の、如何ともし難い増殖にも濃厚に関係しているように、思えてならないのである。(つづく)