ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1028

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と五十九

「ケツゼイ ニ ムラガル ハイエナタチ ノ マツロ」

 「もちろん、全てが全て、そうだとは言わないが、力を失いかけた大企業に限って血税頼み、税金に群がりがち、なのではと、このところ、思えて、思えてならないんだよね」、とAくん。

 力を失いかけた、大企業?

 「巨大化した恐竜たちの断末魔の悪あがき、と、言ってもいい」

 断末魔の、悪あがき?

 「つまり、過去の栄光にスガりまくり過ぎたがゆえに、新たなる、会心次の一手を打たずに、打てずに、安易に権力者たちにスガりまくる、という、まさに、スガりまくりがスガりまくるを呼ぶスガりまくりスガりまくるワールド、って感じなわけだ」

 お~。

 以前から心地よいAくんの愚痴やら文句やらボヤキやらであったわけだけど、お酒という潤滑油の力も借りて、次から次へと畳み掛けるように繰り出される今宵のそのAくん節に、なんだか、より一層の凄みのようなモノを感じてしまう。

 「仮に、致し方なく血税に群がるにしてもだ、血税に群がるなら群がるなりのマナーってのがある、はず。ソコを軽んじると、必ずと言っていいほど墓穴を掘る」

 ん~。

 たしかに、血税を喰い物にするような狼藉(ロウゼキ)が後を絶たない。

 「血税に群がったハイエナたちの末路が、ボンヤリながらも、なんとなく、僕には見えてくるんだよな~」

 血税に群がった、ハイエナたちの末路、か~。

 でも、ハイエナは、そんなモノに群がったりはしませんよ、と、一瞬、とりあえず言っておこうと思いはしたけれど、話がヤヤこしくなりそうなので、ヤメておく。

 そう、そうなのである。

 ハイエナは、仲間と協力しながら真面目に狩りをする。むしろ、横取りするのは百獣の王ライオン。そんなライオンの暴挙に手も足も出ず、遠巻きに眺めるだけのハイエナ。ただ、その、横取りライオンが喰い残したモノをいただいていただけなのだ。悲しいかな、ソコだけが、妙にクローズアップされてハイエナのイメージが出来上がってしまった、に、過ぎない。

 大企業には申し訳ないが、なんだか、大企業とライオン、とてもよく似ているように思えてならない。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1027

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と五十八

「キョウキ ガ キタリテ クニノタカラ ヲ ホウムリサル」

 コレほど愚かだとは思わなかった、と、コレ以上ないというぐらい呆れ果てまくった表情で吐き捨てるように語り始めた、Aくん。

 「ド、ドウしたのですか」

 「一度失ってしまったら、もう二度と取り戻すことなんてできやしない本物の奇跡の芸術を、全くもって理解できない、理解しようともしない権力者たちが、そんな国の宝を守れない、守ろうともしない、という狂気。その狂気の、その、あまりの罪の深さに反吐さえ出そうになる」

 「ナ、ナニがあったのですか」

 メチャクチャ怒っている、というコトぐらいは、私にもわかるが、残念ながら、ソレ以上のコトはナニもわからない。

 「先人たちがつくり出し守り続けてきた数多くの国宝を所蔵している博物館が、トンでもない光熱費の高騰からSOS(エスオーエス)を、救いを、助けを、求めているというのに、国は、ピクリとも動かない。どころか、そもそも国宝なんて国益に繋がらないだろ、お荷物なんだよ、知ったこっちゃないんだよ、みたいな、そんな国の、権力者たちの、狂気。ぼ、僕には、微塵も理解できそうにない」

 あ~。

 ナ、ナンということだ。

 ソ、ソレが事実なら、あの人たちが考える国益って、ホントに、いったい、ナンなのだろう、と、マジで思ってしまう。ひょっとすると、「そんな、骨董品まがいのモノよりも、むしろ、国際的、経済的戦略のツールとして燦然と光輝くアニメ、そうアニメだろ。いつまでも、過去の遺物に振り回されているんじゃねえよ」、と、我々権力者のみならず一般ピーポーたちも思っているんだ、と、言いたいのかもしれないな。

 「以前から、芸術の、美術、音楽の、その価値を軽んじる傾向はある、と、思ってはいたが、まさかココまでとは思わなかった。失望どころか、もう、絶望だよ、絶望」

 絶望、か~。

 そんな権力者たちが進もうとする道、は、少なくともAくんやら私やらが進まなければならない思っている、そう信じている、道、とは、全くもって違う道であるような気がする。

 権力者たちの狂気が、その狂気が来たりて、国の宝を葬り去る。

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1026

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と五十七

「ダイサンシャイインカイ! ダイサンシャイインカイ?」

 コレほどトンでもなくアテにならない委員会はない、と、いつものように唐突に、強引に、話題を変えたそのオープニングからオカンムリの、Aくん。キーワードは、ご多分に漏れず、やはり、あの、「忖度(ソンタク)」のようである。

 またまた忖度、か~。

 「第三者委員会は、ホントに第三者なのか、ってことなんだよな」

 あ~、第三者委員会。

 「権力者が指名するわけだろ。そんな委員会のドコが第三者なんだ」

 け、権力者が指名するのか。

 「権力者が、学者たちのお墨付きをもらうために『Mr. & Ms.忖度』たちを掻き集める」

 ミスター、ミズ、忖度たち、か~。

 あの、あの原発のコトを思い出す。

 想定を越える大津波の危険性を訴えていた学者たちを切り捨てた権力者のことを、私は忘れない。

 「権力者がナニかをヤラかそうとする時の『後押し』を、御用学者まみれの第三者委員会が担う、ということですか」

 「そう、そういうことだ」

 な、なんという委員会。

 Aくんのオカンムリまみれの指摘通り、コレほどトンでもなくアテにならない委員会はないな、と、思う。どころか、なんて罪深い委員会なのだろう、と、思いっ切りズシンと重く、重く、重く思う。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1025

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と五十六

「エッゲッツッナ~!」

 「えげつない」

 えっ!?

 自然を愛し、敬意を払い、そのリズムに合わせて寄り添うように生きる彼女のことを思い出しつつ、ドップリと、自分の世界に入り込んでしまっていただけに、かなり驚いてしまう。

 「おそらく、ドコかの方言なんだろうけれど、タイヘンやら、スゴいやら、ヤバいやら、程度の言葉では、到底表現しきれないぐらい致命的に心をギャッと抉(エグ)られたような時、この『えげつない』ほどビタッとくる言葉はないように思うんだよね」

 心を抉られた時の、えげつない、か~。

 えげつない。

 えげ、えげ?、あっ、あ、あ~、岡八郎岡八郎の「えっげっつっな~」だ。間違いない。

 「岡八郎、ですよね」

 「岡八郎?」

 「ほら、お笑い花月劇場の、あの『くっさ~』の、岡八郎

 「はいはいはいはい、奥目の八(ハッ)チャン、岡八郎ね。そうそう、ソレだよ、ソレ。岡八郎の『えげつな~』」

 「えげつない」に岡八郎の「えっげっつっな~」が被(カブ)さって、「なるほど、なるほど、なるほどな~」と一気に納得がいく。

 「そんな『えげつない』を、タンマリとバケツで汲み上げて、思いっ切りソイツの頭の上から浴びせたような、そんな政治家やら政策やらが、このところ、目立って目立って仕方がないんだよな~」

 えげつない、政治家、政策、か~。

 ん~・・・。

 そう言われると、たしかに、その場しのぎの金(カネ)まみれ、利権まみれ、票集めまみれ、に、加えて、たいした外交努力もせず、不安を煽りに煽って「攻撃されたらどうするんだ」まみれ、などなどの愚策三昧に、Aくんのその指摘、満更的(マト)外れではないように思える。

 「だけどね」

 ん?

 「『えげつない』には起死回生の真逆の意味もあったりするわけよ」

 んん?

 「ソコに、微(カス)かな期待を抱いているんだがな~」

 起死回生の、真逆の、意味、・・・か~。

 つまり、えげつないほどブラボ~な政治家、政策、ということだな。

 Aくんが抱くその期待のような、そんなソッチ側の「えっげっつっな~」な政治家やら政策やらが増えてくれれば、きっと、我々一般ピーポーの日々の生活も、細やかながらもジワジワと、幸せやら満足感で満たされてくるような気はするけれど。でも、ソレは、どうかな~。冷静に考えれば考えるほど、その期待が、ス~ッと薄ボケていきそうだ。

 なんとなく、もうそろそろ、あのモンテスキュー同様、岡八郎も、草葉の陰で泣きながら、「エエかげんにせんとあかんで、ホンマに」という思いを目一杯込めて、ココで一発、そんなソッチ側ではないコッチ側の「えっげっつっな~」でブチカマしてくれそうな気がする。

 ほら、ほら、ほら・・・ほら。

 えっげっつっな~! 

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1024

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と五十五

「シゼンノ リズムニ アワセテ」

 そんなふうに二人して、「全くもって違う」噺に興じていると、ナゼか、ふと、ある女性のある言葉を思い出す。

 愛すること。

 敬意を払うこと。

 私たちは、自然のリズムに合わせて、寄り添うように生活しています。

 ・・・

 そんな言葉をナンの力みもなくサラリと言い放ってみせた、ある、田舎暮らしの若い女性。お母さんと二人暮らしだ。ただし、人間は二人きりだが親愛なる動物たちは彼女たちの周りに数えきれないほどいる。牧歌的とは、まさに、こういうことをいうのだろう。

 おそらく、みんながみんな、彼女のような思いで、価値観で、人生観で、暮らしていたなら、暮らすことができていたなら、今、この世界で起こっている問題の数々は、ほとんど起こっていなかったかもしれないな、などと思ったりする。

 とはいえ、そんな生き方が、現代社会において、そう簡単にできることではないことぐらい、私にだってわかる。いったん覚えてしまった利便性を、受け入れてしまった利便性を、自分の中から払拭することなんて、まず、できやしないだろうからだ。

 さらに、ふと、政治関係者たちが宣いがちな例の言葉を思い出す。

 致し方なし。 

 そう、彼女の「自然のリズムに合わせて」という言葉に少し似ているように見えなくもない、ものの、実は、全くもって非なる言葉、「致し方なし」。

 この「致し方なし」。世の中、キレイゴトでは済まない。ダークなコトに対してダークに対応するコトもまた、致し方なし。ソレが責任ある政治というものだ。という考え方。ドコからドウ考えても、ソレ、オカしいだろ、としか思えないこの考え方が、このところ、妙に一般ピーポーたちの賛同まで得たりしているものだから、ズンと滅入ってしまいそうになる。

 私は、「自然のリズムに合わせて生きる」というコトと、この「致し方なし」とは、ナニからナニまで違った、ほぼ真逆に近いモノだと思っている。

 なぜなら、そういった「致し方なし」には、ほとんどダークなモノしかへばり付いていないのに、「自然に合わせて生きる」には、ダークなモノなど微塵も感じられない、から。いや、ソレどころか、ソコには、人間ごときなどを軽やかに飛び越えた、「聖なるモノ」すら、ごく自然に、さりげなく、あるような気がしてならないからである。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1023

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と五十四

「シャカイ ノ タカラ ト コクエキ トハ チガウ」

 「ただし」

 ん?

 「社会の宝、と、国益とは違う」

 んん?

 「子どもたちは国益のためにいるわけじゃ、ない」

 んんん?

 「ソコを間違いがち、というか、間違いだと思っていない、というか、思いたくもない、という権力者が、あまりにも多すぎるから厄介なんだ」

 んんんん?

 「子どもたちは、あくまでも自由なる『個』として存在する。『個』として存在する子どもたちが『個』として成長する、飛躍する、充実する、満足する、わけだ。そりゃ、結果として国益に結び付くことは大いにあるかもしれないが、いや、きっと、あるに違いないだろうが、しかし、そんなコトは目的でもナンでもない。ましてや、国の役に立つ、とか、国に従順だとか都合がいいとか、といったコトなんて、全くもって関係ないし、どうでもいい」

 ん、ん~、・・・。 

 「にもかかわらず、子どもたち一人ひとりのコトより国益!、と、どうしても思いがちなものだから、だから、あの人たちは、圧倒的な弱者に対して、いとも簡単に、ヤレ生産性がない、とか、ヤレ自己責任だろ、とか、と、平気で宣うことができるのだろうな」

 ・・・な、なるほど。

 Aくんの指摘のその輪郭が、ようやくハッキリとしてきた。

 「子どもたち一人ひとりを、ナニモノにも振り回されない『個人』として見るのではなく、国の役に立つモノとしか見れないとしたら、ソレは、かなり危険なコトですよね」

 「その通り。ひょっとすると、そんなふうに、子どもたちを国の役に立つモノとしか見れなかったその最悪のケースが、あの、『旧優生保護法』であり、あの、『学徒出陣』であったのかもしれない」

 あ、あ~・・・。

 社会の宝、と、国益

 この国の未来、と、国益

 たしかに、この両者、最も大事な根本の部分が、全くもって違うような気がする。

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1022

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と五十三

「コドモタチ ハ シャカイ ノ タカラ コノホシ ノ ミライ」

 「口先だけ、おそらく口先だけの戯言(タワゴト)だと、僕は思っている」

 ん?

 口先だけの、戯言?

 「遠い未来のコトなんかどうでもいいから、この今を。が、あの人たちの揺るぎない政治哲学、政治信条なわけだからな」

 未来のコトなんかより、この今を、か~。

 「ココにきて、ヤタラと『少子化少子化』という言葉を耳にするだろ。しかし、本気で心配しているとは、到底、思えない」

 あ~、少子化、問題。

 ドコからドウ見ても考えてもトンでもなく深刻な問題だと思うけれど、たしかに、あの人たちにとっては、それほどのコトではないのかもしれない。

 「子どもは社会の宝。子どもは、この国の、この星の、未来。と、本気で思うことができているなら、もっと、もっとヤレるコトに気付けるはずだろうし、一刻も早く動き出せるはずだと思うんだよね」

 子どもは、社会の宝、か~。

 「子どもたち一人ひとりにへばり付く様々な状況なんぞに振り回されることなく、全ての子どもが、自分自身の可能性を信じて心置きなく頑張れる、挑戦できる、飛び立てる、みたいな、そんな社会こそが、理想的な社会のカタチなわけだろ。違うかい」

 違わない。

 どんな状況に置かれている子どもも、その子なりの、その子独自の花を咲かすことができる社会。ソレは、間違いなく理想の社会だと思う。そして、もう、その理想の社会を理想の社会のままで終わらせていていいような、そんな呑気なこの「今」ではない、ということなのだろう。未来に繋がっていないこの「今」など、あるわけがないからである。

 「そうした理想的な社会を、今すぐにでも現実の社会にしなければならない、ということですね」

 「そう。口先だけで『少子化少子化』と宣うのでなく、せめて義務教育は給食費、タダ。せめて国公立系は大学まで学費、タダ。せめて奨学金は返済の必要、なし。ソレが難しいのなら返済期限、100年。学級の生徒数も、30人。できれば、25人。などなどと、とにかく、他のコトを犠牲にしてでも、ヤレそうなコトはナンでもカンでも子どもたちのためにトットとガンガン実行すればいいじゃないか、と、僕なんかはマジで思うんだがな~」

 ん~、少子化、大問題。

 社会が子どもを大切にしないから。子どもを大切にしている社会に、子どもに夢を抱かせる社会に、全くもって見えないから。だから、子どもがドンドンと少なくなっていっているのではないのか。バカの一つ覚えのごとく「子どもが少ない、子どもが少ない」と嘆く前に、まず、その少ない子どもたちを国を挙げて全力でサポートすべきじゃないのか。さすれば、自(オノ)ずと、悪しき流れも良い方向に変わっていくのではないのか。と、「ないのか」づくしのアレコレを、私もマジで思う。

 子どもたちは社会の宝。

 この国の、この星の、未来。

(つづく)

 

 

 

 

追記

 Buon anno!

 きっとブラボ~な一年になる、はず。