ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.864

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十五

「オウジョウシマッセ~」

 「往生際(オウジョウギワ)が悪い。って、ナンだと思う?」

 「お、往生際が悪い、ですか」

 「そう。往生際が悪い、とは、ナニか」

 そんなコト、考えたこともない。どころか、ここ数年、その言葉を口にしたこともないような気がする。などと、思ったりしながらモタモタしていると、Aくん、すかさず、「じゃ、質問を変えよう」、と。

 えっ。

 「往生際が悪い、は、善、か、悪、か」

 わっ。

 更に難易度が増した、かも。それでも、ココはナンとしてでも答えなければ、と、苦肉の返答を試みる。

 「まだ、往生すべき時ではない、というコトですよね」

 「そうだな。まだ、現世を捨てている場合でも、極楽浄土に行こうとしている場合でもない、というコトなんだろう、おそらく」

 「となると、往生際が悪いのもまた、私たちに課せられた『試練』の一つ、とは、考えられませんか。もう少し、やり続けてみろよ、良い結果が出るかも、みたいな」

 「ほ~、試練ときましたか。つまり、つまり?」

 「善、だと思います」

 と、エラそうに宣ってはみたものの、ナンとも自信がない。なぜなら、そのもう一方に、「往生際が悪い」の中に漂う「自分本位の悪あがき」という臭いを、どうしても払拭できない私がいる、からである。

 「善だと思います。善だとは思いますが、ただ」

 「ん?、ただ?」

 「自分本位の悪あがき、で、あっては、絶対にいけないと思うのです」

 「自分本位の、悪あがき?」

 「自分本位の悪あがき、は、試練ではない、と、思うからです」

 「ということは、往生際が悪い、は、善、で、自分本位の悪あがき、は、悪、ということかい」

 「そう言い切って、いいと思います」

 モヤモヤしていたモノが、ほんの少し晴れたような気がする。

 「つまり、つまりだ。ようするに、往生際のその『質』次第、ってことだな」

 「しつ?、しつ、質。そう、そうです。質が良い往生際なら、往生際が悪くて結構、ということです」

 更に、もう一皮、モヤモヤが、晴れたような気がした、ものの、それでもやっぱり、頭の中は、ゴチャゴチャッとヤヤこしいままだ。なぜなら、おそらく、往生際に立つ者のほとんどは、皆、自分が自分本位などとは微塵も思っていないだろうから。

 それほど、「往生際が悪い」と「自分本位の悪あがき」との境界線は曖昧で、考えれば考えるほどその深みにはまってしまい、ドッと困り果てる、困り果てまくる。

 すると、なぜか突然、大好きな上方の漫才師、大木こだま、の、あの名ゼリフ(名ギャグか)が、私の耳の奥の方からズンズンと、ジワリジワリと膨らみながら、やたらとリアルに聞こえてくる。

 お~じょ~しまっせ~

 お~じょ~しまっせ~

 お~じょ~しまっせ~

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.863

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十四

オビ=ワン・ケノービ ノ コノコトバ」

 「 May the force be with you 」

 ん?、あっ!、スターウォーズ

 「この、フォースと共にあらんことを、で、有名な『スターウォーズ』だけれど、僕は、むしろ、オビ=ワン・ケノービの、コチラの、このセリフ、この言葉、の、方が、なぜか印象に残っている」

 お~、オビ=ワン・ケノービ

 「 You're going to find that many of the truths we cling to depend greatly on our own point of view 」

 わっ、長い英文。

 ん~・・・。

 つまり、真実は、私たち一人ひとりのその見方によって大きく左右される、か、な。

 「この言葉、コレほどまでにトゥルースとピュアとフェイクとミクスチャーとが入り乱れた現代社会であるがゆえに、妙に響いてくるわけよ」

 入り乱れた、現代社会、か~。

 「所詮、真実なんてものは、どこまでも、己の眼力次第だということなのだろうな」

 あくまでも私個人の思いだが、やたらと戦う『スターウォーズ』に、無条件に好感触を抱いているわけではない。むしろ、嫌悪する場合すらある。この感触は、毎週楽しみにしている某局の大河ドラマに抱いているモノと似ている。楽しみにしつつも、ナゼ、そこまで人を殺すのか、ナゼ、正義の名の下(モト)に、苦渋の決断であったにせよ、身内まで手を掛けることができるのか、などと思ってしまう。そして、その度に、「正義」とは、いったい、ナンなのか、ソレは、正真正銘の「正義」なのか、と、どうしても、私は、そんな、ドコまでも怪しい大義名分の塊(カタマリ)のような「正義」に対して、ドコまでも懐疑的な眼(マナコ)を向けてしまうのである。

 だから、だからこそ、Aくんは、オビ=ワン・ケノービのこの言葉に、感じるモノがあったのだろうな。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.862

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十三

「チイキノ レキシ ブンカ フウド ソシテ ヒト」

 「正真正銘の自然災害、に、よるモノを除けば、この星の悲劇のほとんどは、それぞれの地域の歴史、文化、風土、を、軽んじる者が、ふとした弾みで強烈な権力者になってしまったことによって引き起こされたモノであるような気がしてならないんだよな~」、と、ナニやらヤタラと回りくどく語り始めた、Aくん。「侵略やら粛清やら民族浄化やらといったモノが、いかに、それぞれにとっての大切なモノを奪い、消し去っていったか。ほんの少し、ジャブ程度に考えてみただけでも、空恐ろしくなる」、と、ソコに、ズシッと重く言い添える。

 そう言えば。

 随分と昔のことだが、ふと、私の高校の世界史の先生が、授業で話されていたことを、思い出す。

 「アレキサンダー大王は、支配した地域の文化、宗教、言語、といったモノを尊重した」

 みたいな、そんな内容だったかと思う。

 もちろん、圧倒的な力にモノを言わせて支配しまくっていったのだから、けっして誉められたものじゃないのだけれど、当時の他の支配者たちとは、明らかにナニかが違っていた、ということだけは間違いないようだ。とは言え、直接、アレキサンダー大王本人に聞いたわけでもナンでもないので、その真相も、真意も、全くもってわからないのだけれど。

 曖昧ながらも、そんな、遠い昔のコトを思い出していると、Aくん、「地域の歴史、文化、風土、そして、人。コレらこそが地域のアイデンティティ。そうしたアイデンティティを思いっ切り軽んじる、軽んじることができる、からこそ、いとも簡単に、オキテ破りの『破壊』という道を選んでしまうのだろう。そうは思わないかい」、と。

 オキテ破りの、破壊、か~。

 おっしゃる通りである。そっくりそのまま、私もそう思う。古今東西、この星のそこかしこに目をやれば、自ずと、そう思わないわけには、到底、いかなくなる。

 あらためて、あらためて、強烈な権力者が愚かなる道を誤って選んでしまった時のその罪の甚大さを、ズッシリと重く、そして、ヒリヒリと、痛いぐらい感じるのである。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.861

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十二

「マメニ マメアジノナンバンヅケ」②

 「うわっ、完璧ですね」

 「だろ~」

 ともすれば、食する側を、食する相手を、選びがちな食材であるにもかかわらず、あたかも、向かうところ敵なし、で、あるかのような、そんな、万人に友好的な風情を、その豆アジは、その全身から迸(ホトバシ)らせている。

 「ホントに美味しいです」

 「だろ~。ゼイゴやらエラやらワタやらを丁寧に取り去る。サッとひと煮立ちさせたピリ辛甘酢漬けダレ、に、片栗粉でカラリと揚げ焼きしたその豆アジをジュワッと投入。ドコからドウ見ても、旨いモノにならないわけがない」

 なぜか、突然、あの、居酒屋の親父さんの特製ナスの煮浸し、が、再び、頭に蘇る。

 「なぜ、出汁をひく、と、言うのですか」

 「旨味をひきだす、から、の、ひく、です」

 「引き出す、ですか」

 「そう、ひきだす」

 ついでに、親父さんとのそんな懐かしのやり取りまで、リアルに蘇る。

 「豆アジのいいトコロを思いっ切り引き出して、引っ張り上げてくれていますよね」

 「だろ~」

 「まさに、授業をつくる、ですね」

 「ん?」

 「授業をつくる、こと、と、似てはいませんか」

 「んん?」

 「実にマメな、豆アジの南蛮漬けづくり、に、授業をつくる、ことの、その原点があるような気がしたものですから」

 「マメな豆アジの南蛮漬けに、授業づくりの原点が、か~。なるほどな~。そこまで誉められると、ちょっと、こそばゆくて、くすぐったいけれど、なんとなく、ソレ、わかるような気がするよ」

 気を良くした私は、もう一口、ソレを、口の中に放り込む。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.860

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十一

「マメニ マメアジノナンバンヅケ」①

 「あっ!」

 Aくんの突然のその声に、口に含んだばかりの淡路島のプチプチが、おもわず一気に飛び出してしまいそうになる。

 「な、な、なんなんですか」

 「忘れていた~」

 「ナニをですか」

 「南蛮漬け」

 「ナンバンヅケ?」

 「アジの、豆アジの、南蛮漬け」

 「あ、あ~、南蛮漬け」

 「そう、南蛮漬け。コレが旨いんだ、ベラボ~に」

 「そうなんですか」

 「下処理に完璧を期したからな~」

 ソレは、私にもわかる。魚料理は下処理、下拵(ゴシラ)え、が、命。

 「もちろん、豆アジの鮮度も申し分なかったわけだけれど。しかし、それにしても、だ、冷蔵庫の奥の方にジワリジワリと追いやっていたとはいえ、なぜ、忘れてしまっていたかな~」

 ズンズンと、もう、私の舌は、完全に「豆アジの南蛮漬け」になりつつある。

 「摘(ツ)まむ?、食べてみる?、摘まむよね、食べてみるよね」

 そう言いつつAくん、私の、「じゃあ、お言葉に甘えて」という言葉を待つ気配など微塵も見せることなく、またまた奥へと姿を消す。

 豆アジの南蛮漬け、か~。

 考えてみると、それほど魚好きではないピーポーたちにとって、この調理法、ソコにへばり付くマイナス面を悉(コトゴト)く拭(ヌグ)い去ってくれる救世主のようなモノであるように思える。手間隙をかければ、工夫をすれば、たとえ苦手なモノであったとしても旨いモノになるんだ、というその好例、と、言えるかもしれない。いや、きっとそうだ、そうに違いない。

 そんなことをアレコレ思ったりしていると、ようやく、Aくん、その、自慢の豆アジの南蛮漬けが入った四角いガラスの皿を、嬉しそうに、大事そうに、両手で持ちながら、舞い戻ってくる。

 「美味しそうですね」

 「だろ~」

 いい香りだ。

 一切れ、私の取り皿に移し、どれどれ、と、一口、いただく。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.859

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と九十

「コクエキニミセカケタ ベツモノノカノウセイ」

 「ココで、社会派早口言葉を一つ」

 自慢の唐突さで、そう口火を切ったAくん。その、社会派早口言葉なるものを、思いの外(ホカ)高速で、一気に披露してくれる。

 「コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ、コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ、コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ」

 「そ、それが、社会派早口言葉、ってヤツですか」

 「そうそう、社会派早口言葉、の、その中の一つ、ね」

 ちょっと微妙な感じではある。

 「巷で流行らないかな~、と、密かに期待しているのだが」

 まず流行らないな、と、思いはしたものの、こういった、教訓的な、啓発的な、早口言葉が、人々の間で静かなるブームになることを、なんとなく期待もしてしまう。

 「国益に、見せかけた、別モノの、可能性、ですか」

 「なかなかな、社会派早口言葉だろ」

 「たしかに、いいトコロを突いてはいますよね」

 「あの、般若心経のように、さり気なく、人々の心の中に根付かないかな~」

 さすがにソレは難しいかな、と、思いはしたものの、政治を司るシモジモじゃないピーポーたちが、ナニやら妙に美味そうな話をし始めた時、ソレを鵜呑みにする前に、まず、自分たちの「聞く耳」の精度を上げるためにも人々が、この社会派早口言葉を心の中で唱えてみる、ことに、やっぱり、なんとなく期待をしてしまう。

 コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ、コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ、コクエキニミセカケタベツモノノカノウセイ。

 般若心経にはタイヘン申し訳ないのだが、心の中で、何度も何度も繰り返しているうちに、ほんの少し、ほんの少しだけれど、現代の、新たなる般若心経、の、ように、感じなくもないかな。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.858

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と八十九

「ヒビタンレンシ イツクルトモワカラヌキカイニ ソナエヨ」

 日々鍛練し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ。

 この言葉、某局の、ある、朝の連続テレビ小説なるものの中で、おそらく、あの、「5万回斬られた男」がモデルであろう斬られ役の、その、ベテラン俳優が、迷える若者たちに言い放った魂の名言なわけよ、とAくん。

 「その、朝の連続テレビ小説なるものを、見ておられるのですか」

 「見てる見てる、朝のルーティンの中に、シッカリと入っている」

 申し訳ないが、Aくんのその朝のルーティンを、私は、ほとんど見たことがない。

 「面白いのですか」

 「正直、面白かったり、そうでなかったり、と、まちまちなんだけれど、ここんところは、退職したということもあって、とにかく、見ている」

 「いわゆる、麻薬的な感じ、ってヤツですか」

 「見ないと落ち着かない、不安になる、ソワソワする、イライラする、みたいな?」

 「そうです」

 「ソレはないな、ない。どちらかというと、テレビドラマづくりの最後の砦(トリデ)、みたいな、そんな思いで見続けている」

 「テレビドラマづくりの、最後の砦、ですか」

 「そう。つまり、丁寧な仕事をしている、ということだ」

 丁寧な仕事、か~。

 考えてみれば、ドラマづくりも「ものづくり」。その「ものづくり」に対する心が荒れてしまっては、技が荒れてしまっては、本末転倒、もう、どうしようもない。その、存在意義まで怪しくなってくる。

 そんなことを漠然と思いながら、そのベテラン俳優のセリフを、もう一度、頭の中で繰り返してみる。

 日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に、備えよ。か~。

 たしかに、名言だ。

 するとAくん、なんとなく曇った表情で、ボソリと呟く。

 「伴虚無蔵(バン キョムゾウ)氏のこの名言でさえ、権力者たちの耳には、だからこそ憲法改正だ~、防衛費を増やせ~、敵基地攻撃能力を高めよ~、核の共有だ~、などと、聞こえるのかもしれないな」

 な、なんということだ。

 魂の名言さえも、ソレを聞く耳によっては、トンでもなく違うモノとして受け止められてしまう、ということなのだろうか。

(つづく)