はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と五十四
「ジシュトウヒョウ?」
以前から気になって仕方がない数あるワードの中の一つに、「自主投票」がある。
そう、自主、投票。
時折、政党の、組織の、おエライ方々が、「今回は自主投票で」などとエラそうに宣ったりするものだから、その度に、心の襞(ヒダ)が妙にザワザワと落ち着かなくなる。
自主ではない投票、って、いったい、ナンなのだ。
そもそも、投票なんてものは「自主」なのではないのか。誰かに、頼まれて、命じられて、投じるようなものが投票のあるべき真っ当な姿だとは、到底、思えない。
大体からして、その「自主」という漢字二文字自体、どうもシックリとこない。むしろ、ココは、ナニよりも大切なのは「己」なのだという思いを込めて、「主体」の方が、圧倒的にいい。
そう、主体、投票。
候補者の為人(ヒトトナリ)を知る。
候補者の考えを知る。
この人なら、と、その人に、清き一票を投じる。
この人なら、と、思えないので、どの人にも、投票しない。
その意思を示すために、白票を投じる。
あるいは、「ちゃんとしろよ!」とだけ書いて、投じる。
ナニがナンでもナニもカも、主体である己自身で、深く、考えて、行動する。深く、考えて、行動できる。コトこそが、やはり、心底、真っ当な、「投票」の有り様(ヨウ)だと、私は思う。(つづく)