ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1303

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と三十四

「カクサン ト アジテーション ト シュウダンテキキョウキ ト センソウ ト」

 「厄介なる、agitation(アジテーション)!」

 ア、アジテーション

 な、なんだっけ、アジテーション、って。

 「たとえば、個人が、居酒屋で、酒のチカラも借りたりしながら己の考えを宣う。しかし、その内容が、ダレかに対するトンでもない誹謗中傷にあたる、なんてこともあったりするわけ」

 ある。

 時折、「えっ!?」と耳を疑ってしまうような言動に遭遇すること、たしかにある。

 「だけど、居酒屋でなら、今までなら、大抵の場合、その場にいる誰かが、『それ、ダメだろ』と戒めていたんだよな。もちろん、酒が入っているから口論になったりもするけれど、ま、ソレも含めて古き良き時代の一つの光景として、とくに問題もなく受け入れられていたわけよ」

 ソレに関しては容易に賛同できる。

 大袈裟かもしれないが、ソレこそが、居酒屋ワールドの醍醐味、素晴らしき存在価値だと思っている。

 「少なくとも、ソコに、agitationが入り込む余地なんてなかった」

 「ソレは、居酒屋で完結していた、ということですか」

 アジテーションの意味は不明のままだが、思い切ってそう尋ねてみる。

 「そう、その場で完結していた。ところがだ、今は、そうではないだろ」

 そうではない、とは。

 「アナログの代名詞のような居酒屋と違って、ネットの世界は、その場で完結なんてしない。つまり、広がりこそがネットの世界の醍醐味というわけだ」

 お、お~醍醐味。広がりこそがネットの醍醐味、か~。

 たしかに、コトと次第によっては一気に拡散する、か。

 「そして、その広がりは、天使にも悪魔にもなる」

 天使にも?、悪魔にも?、・・・なる、か。なる、な、。間違いなく、なる。ひょっとすると、その悪魔が、アジテーションってヤツか。

 「分母が大きくなれば、当然、分子だって増えるだろ」

 増える。

 「居酒屋のような分母が小さな世界ではダレも賛同してくれないかもしれないが、分母が大きなネットの世界でなら、きっとダレかが賛同してくれる。そして、その賛同が、ネズミ算式に増えていくことだって大いにあり得る。と、いうことだ」

 なるほど。

 つまり、誹謗中傷としか思えないような言動も、場合によっては、コトと次第によっては、寄って集(タカ)って正義のベールに包み込まれていってしまうこともあるということか。

 「拡散が、agitation、扇動、と、一体化して、最悪、ソコに、『集団的狂気』さえも生み落とす」

 最悪の場合、集団的狂気さえも、か~。

 ・・・ふ~。

 そうやって、あの時、この国は、一気に戦争へと突き進んでいったのかもしれないな。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1302

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と三十三

「リンリ ヨリ リアル!」

 「結局、倫理よりも、real(リアル)。って、コトなんだろうな」

 リアル?

 「現実が、日々の生活が、厳しい。厳し過ぎる。その厳しさをドウにかしてくれるなら、是正してくれるなら、倫理なんて、この際、目を瞑(ツブ)ろう」

 倫理なんて、目を瞑ろう?

 「どころか、その厳しさを是正してくれようとしている我らがヒーローを、貶(オトシ)めるために寄って集(タカ)って難癖をつけているだけじゃねえのか、って」

 貶めるために・・・

 「思ってしまう」

 難癖を、か。

 「さらには、嘘か真(マコト)か定かではない情報たちが、ソレを後押しするかのようにネット上で溢れ返る」

 たしかに、溢れ返ってはいる、が。

 ・・・ん~。

 日々の、日々の生活の厳しさが、政治に対する、既存政党に対する、失望が、不信が、憤りが、「我々のために頑張ってくれているのなら、この際、倫理なんてドウでもいい」、と、「我々のために頑張ってくれている人をソコから追い出そうとしているに違いない」、とを、見事なまでに合体させてしまった、か。

 「自分たちのために頑張ってくれているなら、倫理観の破綻も、差別も、暴言も、強引な手法も、乱暴なやり口も、ナニも、カも、大目に見る。だけでは収まらず、そういったコトを指摘した心ある者を、徹底的に誹謗する。亡き者にする。などということが、仮に、もし、あるとするなら、やはり、ソレは、かなり恐ろしいコトだと思います」

 「そう、恐ろしい。そして、その恐ろしさに気付けなくなる恐ろしさは、更に一層、ナニよりもトンでもなく恐ろしい」

 恐ろしさに気付けなくなる、恐ろしさ、か~。

 「トにもカクにも、倫理よりもナニよりもrealだ、と、宣うのなら、ナニがナンでもrealから目を背けるな。realを凝視しろ。fake(フェイク)な似非(エセ)土台の上にいくらrealを積み上げたとしても、そんなモノ、いつか、間違いなく、その土台から崩れ落ちる。と、いうことだ」

 Aくんが得意とする、いつもの難解な言い回しだが、なんとなく、わかるような気はする。

 ・・・ん?

 あっ。

 ひょっとすると、コレもまた、交渉の戦略的ツール、か。

 コッチのために頑張ってくれるなら、ソッチのヤヤこしいコトには目を瞑りますよ、みたいな。

 ・・・ん~。

 ナンにせよ、私たちは、ナニがリアルでナニがフェイクなのか。ダレが真実を語りダレが嘘をついているのか。を、見抜ける眼力を身に付けなければならないだろう。切にそう思う。にもかかわらず、必要不可欠なソレが、手も足も出そうにない至難の業だとすると、ココからは見えないが、次の四つ角を右折したあたりで、ひょっとすると、取り返しがつかないレベルの悲劇が、大きな口をパックリと開けて待ち受けているかもしれない。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1301

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と三十二

「イマハ モウ ジョセイノ キモチヲ シッカリ カンガエナイトイケナイ ジダイニ ナッテキテイルノデ」

  「『フリン』って、ナンだ」

 えっ!?

 「倫理から、外れた。倫理が、ない。の、不倫」

 あ、あ~、不倫、か。

 Aくん得意の唐突感丸出しで、突然「不倫ってナンだ」と言われたのだ。当然のごとく困惑してしまった、私。

 「そもそも倫理って、ナンだ」

 リンリ?、倫理、倫理、か~。

 ・・・ん~、難しい。高校時代、「倫理社会」という科目があったが、以前から馴染みがあったあの「道徳」とは、なんとなく、ひと味違うテイストであったような気はした。

 「人が人であるための倫理が法律よりも下に見られる。だからだろうけれど、とくに不倫なんてものに対しては、法律違反でもないその程度のコトでガタガタ言われる筋合いはないし、言う必要もない、と、宣いがちなピーポー、結構、いたりするだろ」

 たしかに、所詮、夫婦間の問題。家庭の問題。ソッチで勝手にやってくれ。的な、そんな扱いをされがちだ。

 「僕はね、そんな不倫の裏側に、トンでもない差別の臭いを、どうしても感じるわけ」

 「差別の臭い、ですか」

 「そう、如何ともし難い『男尊女卑』という差別の臭い。いや、『強尊弱卑』と言った方がいいかもしれない」

 キョウソンジャクヒ?

 「強き者が弱き者を差別する」

 あ、あ~、強尊弱卑、か。 

 「見下す。軽んじる。己の満足のために、いいように利用して、そして、マズいコトになってくると、いとも簡単にサクッと切り捨てる」

 ヒドいな。

 けれど、大抵の場合は、そんな感じなのかもしれない。己の愚行を恥じ、腹を掻っ捌(サバ)いてでも、詫(ワ)びる。責任を取る。などというようなコトは、まず、ないだろうから。

 「たとえば、弁護士の肩書きをもつあるコメンテーターが、悪びれず、平然と、テレビで、『今はもう、女性の気持ちを、しっかり、考えなければならない時代になってきているので』などとメチャクチャ上から目線で、男性目線で、宣ったりする。女性の気持ちを考えなければならない時代になってきている、だぜ。ソレって、そんな時代になってきていなかったら、女性の気持ちなんて考える必要はないし、どころか、そんなもん、そもそも考えたくもねえし、ってコトだろ。違うかい」

 違わない。

 なんか、まるで、封建時代あたりからタイムスリップでもしてきた方(カタ)のコメントのようだ。「以前おりました時代は、シモジモの者たちに気を遣う必要なんておまへんでしたさかいな。いや、ホンマに、邪魔臭い時代に来てしまいましたわ~ガハハ~」、みたいな。

 ナゼか、頭の中が、あの、大阪弁のOくんみたいな口調まみれになり、おもわず、吹き出してしまいそうになる。

 「その『強尊弱卑』という資質そのものに問題がある。と、思っている」

 「ましてや、そんな人間が、学校の先生に、弁護士に、コメンテーターに、そして、政治家に、とくに、国会議員に、なんて、トンでもないことだと」

 「そう、そういうことだ。そんな人間が法律をつくるんだぜ。考えただけで反吐(ヘド)が出そうになる」

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1300

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と三十一

「ワカラナイトコロ ガ オモシロイ」

 今まで誰も踏み入ったことのない、ある新しいコトにチャレンジした町工場の社長さんの言葉。

 わからないトコロが面白い。

 最初からわかっていたら面白くない。

 たしかにおっしゃる通り。おっしゃる通りなのだけれど、私のような凡人にはハードルが高くて、なかなかそうは思えない。いつだって、すぐに、挫(クジ)けてしまいがちだ。ソレゆえ、たとえば、中学生の頃だったか、大の苦手であった数学の、その教科書の虎の巻のようなものをコッソリと買っては丸写し、みたいな、そんな、楽することばかりに明け暮れてきた人生であったような気がする。

 この年齢になって、ようやく、その社長さんの目から鱗の名言は、ほとんど抵抗もなくスルリと私の喉を通る。そして、その、わからないトコロが面白い、という「面白さ」も、どうにか理解できる。

 あ~、あの頃、あの社長さんと出会っていれば、チャレンジ精神旺盛な中学生になれていたかも。

 ん~、いや、あの頃の私には、目から鱗、ならぬ、豚に真珠、で、あっただろうな。折角の名言も、条件反射のようにアレルギー反応を起こして、はい、おしまい。そんな気がする。遠い遠い昔のコトだが、でも、やっぱり、後悔は残っている。

 わからないトコロが面白い。いい言葉だ。

 でも、この星の未来の「わからなさ」は、少し質が違うのではないだろうか。

 そう、質が違う。

 「ある町工場の社長さんの『わからないトコロが面白い』という言葉が、妙に忘れられなくて」

 「わからないトコロが面白い。わからないから、こそ、面白い。いいな、それ。気に入った」

 「でも、その『わからなさ』と、この星の未来の『わからなさ』とは、質が違うような気がして」 

 「この星の未来のわからなさ、ね~。たしかに、面白がってはおれないイヤな空気感はあるよな」

 「ソレです、そのイヤな空気感。不気味というか不吉というか」

 すると暫(シバラ)く間をおいて、Aくん。ネガティブからポジティブへと一気に舵を切るように・・・

 「Open up the future(オープンアップ、ザ、フューチャー)!」

 ん?

 「ソレでもやっぱり、その社長さんの言葉のように、未来なんかドウなるかわからないから面白い、で、なきゃ、ダメなんだろうな。で、ないと、生きている、生きていく、意味が、ない、とまでは言わないが、希薄になるような気がする」

 ん~。

 オープン、アップ、ザ、フューチャー、か~。

 そうかも、そうかもしれないな。

 わからないトコロが面白い。

 わからないから、わからないからこそ、面白い。

 オープン、アップ、ザ、フューチャー!

(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1299

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と三十

「ミミカキ イッパイ?」

 「コレを配慮というのかもしれないが、ナゼ、新聞もテレビも『取り出しに成功』なのか」、とAくん。

 取り出しに成功?

 「ドコからドウ考えても、ココは、やっぱり、『耳かき一杯』だろ」

 耳かき、一杯?

 「コレを、ドーンと前面に出さないと、その、トンでもない難しさは伝わらない」

 あ、あ~。デブリデブリのことだ。間違いない。やっと、どうにかこうにか取り出せた、800t(トン)の内の、耳かき一杯のデブリ

 「耳かき一杯ではあるけれど、その小さな一歩が、その小さな希望が、大いなる一歩、大いなる希望、であり、大切なんだ。という声も聞こえてきそうだが、でも、ナニかが臭う」

 ソレがナンの臭いか、私にはわからないけれど、おっしゃる通り、ナニかが臭う。

 「僕はね、残酷なコトを言うようだけれど、デブリは回収できないと思っている」

 回収できない、か~。

 「それゆえ、施設自体の耐久年数を遥かに超える、ほぼ永遠と言っていいぐらいの長きに亘(ワタ)って、ズッと、ズッと冷やし続けなければならない」

 冷やし続ける?

 そんなコト、できるわけがない。

 「けれど、今後も、利権塗(マミ)れの原発を推し進めていこうとするなら、原発にナニが起ころうがコントロール下に置かれているんだ、処理できるんだ、大丈夫なんだ、と、この国のピーポーたちに思ってもらわなければならないだろ」

 たしかに、思ってもらわなければ推し進めていくことなんてできるはずがない。

 しかし、もし、仮に、「大丈夫なんかじゃない」としか思えない原発であったとしても受け入れる自治体があるとするなら、ソレは、おそらく、「受け入れる」ではなくて「受け入れなければ、もう、ドウしようもないんだ」という、切羽(セッパ)詰まった「致し方なし」、以外の、ナニモノでもないということなのだろう。

 いつもの、あの、弱味につけこまれて致し方なく、というヤツか。きっと、そうだ。そうとしか思えない。ナゼなら、原発がこの地震大国にそぐわないことは、もう、周知の事実だからだ。にもかかわらず「受け入れる」ということは、そういうコトなのだろう。

 「僕が『取り出しに成功』に感じる臭いは、まさに、ソレ。やれてなんかいない、やれそうにもない、にもかかわらず、推し進めていくための『やれている』感だ」

 やれている感、か~。

 しかし、そんな稚拙な詐欺みたいな手口に騙されるだろうか。俄(ニワカ)には信じがたい。

 ん?

 いや、もしかすると、そんな詐欺まがいの「やれている」感であったとしても、この国のピーポーたちは、無意識のうちに、その「やれている」感を求めているのかもしれない。不安を、絶望を、拭い去るための、安心を、希望を。

 そんな思いがプクリと芽生えた途端、私の身体中が、そのナンとも言えない臭いで、ブオンと充満した。(つづく)

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1298

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と二十九

「ゼゼヒヒ ト コウヘイムシ ト センダンヘンパ」

「大抵、人は正しいコトと正しくないコトの狭間で揺れ動いている」、とAくん。

 おっしゃる通り、間違いなく揺れ動いている。なぜなら、完全無欠の人間なんて、まず、いないからだ。

 「だから、ダレが、ではなく、ナニを、宣っているか、ドウ、行動しているか、が、重要だと思っている」

 同感。

 「私も、ドコの、ダレの、言動であろうと、その言動が素晴らしければ素直に受け入れなければ、と、思うように努めてはいます」

 とはいえ、コレが、なかなか難しい。

 「そういう意味で『是々非々』は、スタンスとして、好ましい」

 是々非々?

 あっ、そういえば、このアトリエに来る直前にも、Aくん、「是々非々」についてプチ問題提起されていたような。

 「しかし、親戚筋の『是非非是』(ゼヒヒゼ)は、結構、厄介なんだよな」

 ぜ、是非非是?

 「正しいコトでも正しくないし、正しくないコトでも正しい、ですか」

 「そう、そんな感じだ。そして、その負の進化系が『非是非是(ヒゼヒゼ)』」

 ひ、非是非是(ヒゼヒゼ)?

 「なんですか、それ」

 「コッチとしてはソッチのソレは正しくないと思ってはいるけれど、ソッチがコッチのコレを正しいと思ってくれるならコッチもソッチのソレを正しいと思ってやってもいいぜ」

 早口言葉か。

 「本来は、コッチとかソッチとかなんてモノに囚われず、真に正しいコトを正しいと理解できる、受け入れられる、宣える、そんな自分であるべき。にもかかわらず、とくに、政治に関わるピーポーたちは、どうしても、駆け引きの、交渉の、戦略的ツールとして、この歪みまくった『非是非是』を使いたがる」

 そう、そう、そうだった。交渉の、戦略的ツール。思い出した。

 「僕はね、公平無私(コウヘイムシ)なくして是々非々なし。だと思っている」

 公平無私、か~。

 「まず、コッチを消し去る。すると、ソッチも消える。すると、ソコに残るのは、ナニモノにも囚われない広い視野。多角的な視点。フラットな視線。鋭い眼力だ」

 ん~。

 正論だし、その通りだとも思うけれど、ソレって、トンでもなく難易度が高い。私自身も、努めてはいるものの全く自信がない。けれど、あの人たちには、私たちのソレとは比較にならないほど大きな責任と義務があるのだ。それゆえ、Aくんが、そんなあの人たちに期待するのも当然と言えば当然、か。

 「けっして好ましいコトではないし、最悪だとも思うけれど、あの世界に身を投じたピーポーたちが陥ってしまいがちな職業病と言えるのかもしれないな」

 「職業病、ですか」

 「そう。つまり、あの人たち的には避けて通れない、らしい、党利党略やら癒着やら利権やら、その他モロモロ、ナンやらカンやらに、ドップリと浸かり塗(マミ)れまくっているうちに、心ならずも、図らずも、ジワリジワリとその公平無私の真逆に鎮座する専断偏頗(センダンヘンパ)に取り憑かれ、ソコから脱することができなくなってしまう、ということだ」

 専断偏頗に取り憑かれてしまう、か~。

 「残念だし情けなくもなりますが、そんなあの人たちに、高難易度のソレを期待するのは、望むのは、さすがに、ちょっと、酷かもしれませんね」

(つづく)

 

 

追記

 他国のコトにアレコレと口を挟むのはヤボ。とは思うけれど、ソレが、この星の未来に甚大な影響も責任もある超大国のコトとなると、気にしたくなくても気になってしまう。

 ひょっとしたら、この星のそこかしこで垣間見られるトンでもない人権問題も、ココにきて一気に加速化、深刻化、し始めた感が歪めない温暖化問題も、亡きモノにされてしまうのではないか、という懸念が、払拭されないまま私の中に、ある。

ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1297

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と二十八

「イイコトヲ イッテイルカノヨウナ ロンテンズラシ ロンポウ ハビコル」

 「シモジモたちごときに本当のコトなど言う必要も、言わなきゃならない義務も、ないと、ひょっとしたら本気で思っているのかもしれない、そんな『嘘つき三昧』系のエラそうな方々は、もちろん、論外なんだけれど」

 ん?、嘘つき三昧?、論外?

 「たとえば、たとえばだ」

 んん?

 「AとBによる激論があったとして」

 んんん?

 「その激論の行き着く先に、AとBの両者が、どころか、その激論に耳を傾けていた周囲までもが『ガッテン!』と納得できる結論がある。みたいな、そんな結論がソコにないと、ほとんど意味がないんじゃないか、って、この頃、とくに、思うんだよな~」

 ん~。

 今、流行りの、あの「論破」ではない「ガッテン!」でなければ意味がないと、Aくんは宣いたいのだろう。たしかに、あの手のチカラ任せの論破のほとんどは、納得とは程遠いように思える。とはいうものの、ソレって、かなり難しい。

 「論理的に説明し、目から鱗の納得への道を拓くコトの難しさ。私も、イヤというほど痛感すること、何度もありますから」

 ココは、正直に、己のチカラ不足を告白。

 するとAくん、「僕も、ある、ありまくる。でもね、あの人たちはソレが仕事だろ。国会やら委員会やらといった戦場で、その道のプロとして、そのチカラを発揮できない、発揮するチカラもない。では、申し訳ないが、向いてないんじゃねえのか、って、どうしても思っちまうわけよ」、と。

 そういえば、「これから、シッカリ、勉強させてもらいます~」などと、悪びれず、ニコニコと宣う新人、若手(に、限ったことではないかもしれないが)を、よく目にする。たとえば、その知名度の高さを武器に勝利を勝ち取ったニューフェイスたち。しかしながら、ニューフェイスといえども一年めから信じられない額の高給を手にするのだ。当然、ソレは血税。ドコからドウ考えても、呑気にニコニコと「勉強さてもらいます~」などと宣っている場合ではないだろう。

 「しかも、その手のコトは、ネットやテレビなどのメディアの世界でも、結構、見受けられたりするものだから、余計、ナンともカンともな気分になる」

 いわゆる有識者、コメンテーター、と、言われる方々のことか。

 「とくに、未だ影響力があるテレビのその画面の中で、ソレなりに存在感を放っているコメンテーターたちの、あの、忖度まみれの巧みな世論誘導論法やら、なんとなくいいことを言っているかのような論点ずらし論法やら、を、何度も、何度も耳にするにつけ、もう、いい加減、『ガッテン!』などとは真逆の、不満足感と失意でドロドロの沼に、ズブズブと、思いっ切りズブズブと吸い込まれていってしまいそうな、そんな感じなわけよ」

 不満足感と失意でドロドロの沼に、ズブズブと、か~。

 またまたわかり辛いAくん独特の言い回しだけれど、その「そんな感じ」、理解できなくはない。つまり、ピーポーたちをそのような沼で溺れさせてしまう、どころか、溺れているピーポーたちを見てもナンとも思わない、ような、政治家もどきでもコメンテーターもどきでもなく、右も左も前も後ろも上も下も、皆が、心から「ガッテン!」できる、納得できる、ような、論じるコトのプロ、プロフェッショナルたれ。と、いうことなのだろう。

(つづく)