はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と三十
「ミミカキ イッパイ?」
「コレを配慮というのかもしれないが、ナゼ、新聞もテレビも『取り出しに成功』なのか」、とAくん。
取り出しに成功?
「ドコからドウ考えても、ココは、やっぱり、『耳かき一杯』だろ」
耳かき、一杯?
「コレを、ドーンと前面に出さないと、その、トンでもない難しさは伝わらない」
あ、あ~。デブリ、デブリのことだ。間違いない。やっと、どうにかこうにか取り出せた、800t(トン)の内の、耳かき一杯のデブリ。
「耳かき一杯ではあるけれど、その小さな一歩が、その小さな希望が、大いなる一歩、大いなる希望、であり、大切なんだ。という声も聞こえてきそうだが、でも、ナニかが臭う」
ソレがナンの臭いか、私にはわからないけれど、おっしゃる通り、ナニかが臭う。
「僕はね、残酷なコトを言うようだけれど、デブリは回収できないと思っている」
回収できない、か~。
「それゆえ、施設自体の耐久年数を遥かに超える、ほぼ永遠と言っていいぐらいの長きに亘(ワタ)って、ズッと、ズッと冷やし続けなければならない」
冷やし続ける?
そんなコト、できるわけがない。
「けれど、今後も、利権塗(マミ)れの原発を推し進めていこうとするなら、原発にナニが起ころうがコントロール下に置かれているんだ、処理できるんだ、大丈夫なんだ、と、この国のピーポーたちに思ってもらわなければならないだろ」
たしかに、思ってもらわなければ推し進めていくことなんてできるはずがない。
しかし、もし、仮に、「大丈夫なんかじゃない」としか思えない原発であったとしても受け入れる自治体があるとするなら、ソレは、おそらく、「受け入れる」ではなくて「受け入れなければ、もう、ドウしようもないんだ」という、切羽(セッパ)詰まった「致し方なし」、以外の、ナニモノでもないということなのだろう。
いつもの、あの、弱味につけこまれて致し方なく、というヤツか。きっと、そうだ。そうとしか思えない。ナゼなら、原発がこの地震大国にそぐわないことは、もう、周知の事実だからだ。にもかかわらず「受け入れる」ということは、そういうコトなのだろう。
「僕が『取り出しに成功』に感じる臭いは、まさに、ソレ。やれてなんかいない、やれそうにもない、にもかかわらず、推し進めていくための『やれている』感だ」
やれている感、か~。
しかし、そんな稚拙な詐欺みたいな手口に騙されるだろうか。俄(ニワカ)には信じがたい。
ん?
いや、もしかすると、そんな詐欺まがいの「やれている」感であったとしても、この国のピーポーたちは、無意識のうちに、その「やれている」感を求めているのかもしれない。不安を、絶望を、拭い去るための、安心を、希望を。
そんな思いがプクリと芽生えた途端、私の身体中が、そのナンとも言えない臭いで、ブオンと充満した。(つづく)