はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と四十三
「ジンルイハ ジツハ センソウズキ ナンジャナイノカ」
どちらかというと日本史よりも世界史の方が好きだった。でも、ドチラも、他の教科よりは、一部を除いて、かなり好き。ただし、クソみたいな歴史クイズに強くなるためとしか思えないようなマル覚えには全く興味がもてず、それゆえ、悲しいかな、得意教科になることはなかった。けれども、幸いなことに、歴史が好きだという気持ちだけは、今でも、無事、私の中でノンビリと鎮座してくれている。
奥からナカナカ戻ってこないAくんの、そんな歴史の授業に対する、あの提案、「遡(サカノボ)る歴史」は、目から鱗のスペッシャル提案で、頭がカチコチの文科省にマジで進言したいほどの私のお気に入りなのである。
そう、遡る歴史。
現代から古代へと、コトのその原因を、要因を、ナゼ、ナゼ、ナゼ、と、突き詰めていく、遡る歴史。遡る歴史の授業。バカみたいに漠然と、古代から学んでいくよりウンと面白いと思うのだが。
そんな目線で、そんなふうに歴史と触れていると、なんとなくながらも見えてくるコトがある。
そう、見えてくるコト。
ソレは、「結局、人類は、戦争好きなんじゃないのか」というコト。そうでなければ、コレほどの長きに渡って、手を替え品を替え、何度も何度も、そこかしこで、やれ我が国のために、民のために、正義のために、平和のために、と、愚かなる戦(イクサ)をやり続けることなどできないだろうから。
そう、人類は、心底、戦争が好きなんじゃないのか、と。
どんな大義名分であれ、大義名分さえあれば、理不尽な殺戮もまた正義であって、平和を勝ち取るためには致し方なし、と、マジで思っているのではないか。と、つくづく思う。残念ながら、申し訳ないが、そう思わざるを、得ない。
ある、音楽評論家の沈鬱な嘆き。
「憲法9条は人類の宝だと呟いただけで、ボケだ、アホだと沢山の言葉が寄せられます」
ナンとも言えない思いと共に、この嘆きは、今でも、私の耳の奥の奥に、心の奥の奥に、ベッタリとへばり付いたままだ。
また、同じコトを繰り返すつもりなのか。
おそらく、焼き尽くされた廃墟を、尋常ではない夥(オビタダ)しい数の死体たちを、放射能に汚染された空気を、土を、水を、前にして、ようやく、やっと、気付くのだろう。
こんなコトになるなんて想像もできなかった。ダメだ、戦争はダメだ、と。(つづく)