ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1139

はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と七十

「ソバナリ ノ オト?」

 「肘やら肩やら手首やら、とにかく、アチコチに力が入りまくって鍵盤を叩いた時の音は、たしかに大きな音のように聴こえるのだけれど、でも、その音は、ナゼか、ホールの隅々にまで届かない、見せかけの大きな音だということ。余分な力みを全て削いで、ピアノのポテンシャルを最大限に、ソレ以上に、引き出した『音』でなければダメなんだ。と、いう、ある若きピアニストの言葉が、どうしても忘れられないんだよね」、とAくん。

 ナニゴトにも力みがちで、ナニをやっても上達しなかった私であるだけに、そのピアニストの言葉、この胸にもグサリと突き刺さる。

 「そんな、マヤカシの大きな音を、『側(ソバ)鳴りの音』というらしいんだよね」

 「ソ、ソバナリの音、ですか」

 「近くで、側で、ナニ気に聴いている分には、ご立派な感じで鳴り響いているように思えるのだけれど、実は、マヤカシの音だった。という意味の『側鳴りの音』ね」

 あ~、側鳴りの音、か~。

 「僕はね、今の政策のほとんどが、この『側鳴りの音』のように思えてならないんだよな~」

 ん?

 「側鳴りの、政策」

 「側鳴りの政策、ですか」

 「そう。とくに、選挙の前あたりになると、必ずと言っていいほど、ヤタラと目立ってくるわけよ、そんな側鳴りの政策が。でもね、そんな上っ面だけ良さそうに見える、聞こえる、マヤカシの政策なんてモノは、実際は、国民の、一般ピーポーたちの、その隅々にまで、未来にまで、大切な未来の子どもたちにまで、届かないんだ、ってコトを、絶対に忘れちゃ~ダメだ」

 なるほど、なるほどな。

(つづく)