はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と七十
「ソバナリ ノ オト?」
「肘やら肩やら手首やら、とにかく、アチコチに力が入りまくって鍵盤を叩いた時の音は、たしかに大きな音のように聴こえるのだけれど、でも、その音は、ナゼか、ホールの隅々にまで届かない、見せかけの大きな音だということ。余分な力みを全て削いで、ピアノのポテンシャルを最大限に、ソレ以上に、引き出した『音』でなければダメなんだ。と、いう、ある若きピアニストの言葉が、どうしても忘れられないんだよね」、とAくん。
ナニゴトにも力みがちで、ナニをやっても上達しなかった私であるだけに、そのピアニストの言葉、この胸にもグサリと突き刺さる。
「そんな、マヤカシの大きな音を、『側(ソバ)鳴りの音』というらしいんだよね」
「ソ、ソバナリの音、ですか」
「近くで、側で、ナニ気に聴いている分には、ご立派な感じで鳴り響いているように思えるのだけれど、実は、マヤカシの音だった。という意味の『側鳴りの音』ね」
あ~、側鳴りの音、か~。
「僕はね、今の政策のほとんどが、この『側鳴りの音』のように思えてならないんだよな~」
ん?
「側鳴りの、政策」
「側鳴りの政策、ですか」
「そう。とくに、選挙の前あたりになると、必ずと言っていいほど、ヤタラと目立ってくるわけよ、そんな側鳴りの政策が。でもね、そんな上っ面だけ良さそうに見える、聞こえる、マヤカシの政策なんてモノは、実際は、国民の、一般ピーポーたちの、その隅々にまで、未来にまで、大切な未来の子どもたちにまで、届かないんだ、ってコトを、絶対に忘れちゃ~ダメだ」
なるほど、なるほどな。
(つづく)