ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.966

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と九十七

「センキョデ エラバレル セイジカデ アレバ」

 「選挙で選ばれる政治家であれば、己の政治的決断を、行動を、国民に向けて発信しオープンにすることは、当然のごとく政治家の義務!」

 オープニングから随分と重量級のテイスト。

 「その人物が、いかなる人物なのか。どう考え、どう判断し、どう行動するか。の、その全てがオープンにされてこそ、その人物が、選ぶべき人物なのかどうかが判断できる、というわけだ」

 あらためて、そうだ、そうだった、政治家は選挙によって選ばれるのだ、と、気付かされる。

 「ナニかマズいことでもあるのだろうか。ソコのところをオープンにせず、コソコソと、という政治家が、結構いたりするからな」

 コソコソと、か~。

 国民に、ツマらない刺激を与えて、票を失うようなことだけは避けなければならない、とでも思っているのだろうか。

 「たとえば政府が、政治家が、強引ともとれる手法で、巨額の血税も投じて、ある政治的決断に踏み切ったとしよう」

 ひょっとして、国葬のことか。

 「ソレに対して、政治家たち一人ひとりが、どう反応し、どう動くか、は、選挙の際の貴重な判断材料になる」

 たしかにそうだ。

 普段は、ナニをしているのかをハッキリさせずに、選挙の時だけ、満面の笑みとヤル気で、こんなことをしてまいりました~、こんなことをしてまいります~、お任せください~、がんばります~、では、いったい、ナニをもって判断すればいいのか。申し訳ないが、少なくとも私には、そんなもので判断など、到底できそうにない。

 「ある、ある女性政治家が、早々に反意を示す。もちろん、このご時世だ。非礼。端(ハシタ)ない。スタンドプレー。あるいは、ブレない姿勢。早い決断。スジを通す。などなど、と、早速ネットはザワついて、思いっ切り賛否が分かれる。でも、でもね、その前に忘れてはいけないこと、ってのがあるわけよ。ソレは、政府が政府として、政治家が政治家として、決断して行うコトは全て、政治的である、というか、政治そのものだ、ということ。とくに、国葬。言うまでもないが、国葬なんてものは、もちろん単なる葬式ではない。にもかかわらず、コレを、あくまでも葬式なのだと思ってしまいがちなものだから、どうしても、『情(ジョウ)』にまみれた発言が、そこかしこから聞こえてきたりするんだよな~」

 「元首ならまだしも、そうでない者を国葬に、と、なれば、当然、政治的なナニかが背後で蠢(ウゴメ)いていると考えるのがノーマルだと、私も思います。しかし、世間を見渡せば、必ずしもそうではない。だから、先ほどの、女性議員に対する思いっ切りの賛否、みたいなことになったりするのでしょうね」

 「なんにしても、恐れずに、オープンにできる政治家は素晴らしいよ。国民は、そうした決断や行動を、クールに、ジックリと、判断材料にすればいい」

(つづく)