はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と五
「フシギノクニ ニッポン!」
カナダかドコかの大学かナニかで、日本の経済の不思議がテーマになったらしいんだよね、とAくん。
「日本の経済の不思議、ですか」、と私。
以前から、いわゆる先進国、の、中でも、この国は、かなり特異な存在だとは思っていたが、わざわざ海外の大学あたりで研究の対象になるとまでは、さすがに思っていなかったので、少々、驚いてしまう。
「日本人の国民性と経済との相関関係、と、言ってもいいかな」
「国民性と経済との、ですか」
「そう。カナダ人が思う日本人のイメージが、日本における格差社会に、どうしても結びつかない、と」
日本人のイメージが、格差社会に結びつかない、とは。
「酒やらギャンブルやら薬物やらに溺れてしまう者が多いわけでも、働かない者が多いわけでもなく、ひたすら、真面目に、フルタイムで働いているにもかかわらず、それでもドンドンと開いていく貧富の差は、もはや、国民一人ひとりの問題なのではなく、政治そのもの問題、つまり、政策の失敗以外のナニモノでもない、と言ってのけてくれたりしているわけよ」
政策の失敗以外のナニモノでもない、か~。
なるほど、鋭い分析だ。遠く離れているからこそ見えてくるものがあるという好例か。
「それでも、デモ活動も暴動も、まず起こさない、ですよね、この国のシモジモであるピーポーたちは」
「そうだな。ひょっとすると、上(ウエ)が倒れれば下(シタ)も倒れる、と、知らないうちに叩き込まれてしまっているのかも。上があってこその下。だから、逆らわない、逆らえない」
そして、貧富の差は、更にズンズンと拡大していくわけか。
「だが、そんなふうに、ひたすら、理不尽に、我慢を強いられ続けていると、しまいには堪えられなくなって、心が折れたり、破壊されたりして、自ら命を絶ってしまう悲劇の道やら、あの、ジョーカーと同じ狂気の道やら、を、選んでしまうことに繋がっていくのかもしれないな」
なんだか空恐ろしくなってくる。
少なくとも、カナダから見た不思議の国「ニッポン」は、弱き者たちの弱きトコロに、つけ込みにつけ込みまくった強き者たちにとっての、最高にご機嫌なパラダイスだということなのだろう。(つづく)