ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.542

はしご酒(4軒目) その百と百と八十三

「チカイミライ ト トオイミライ ト」

 「なぜ、真っ当な論戦が繰り広げられないのか、からの、私なりに、以前からずっと思っているコトがあるのですが」、と私。

 Aくん、オッ、という表情。

 「たとえば、ソコに一本の木がある、とします。その木の枝葉についてどうこうというコトは、所詮、枝葉なんだから、大したことじゃない。それなりに頑張って話し合ってくれればいい。でも、その木を、近い未来にとって邪魔だから切り倒そう、と、遠い未来のために、もっと増やして森をつくろう、とでは、それなりに頑張って話し合って、というような、そんなレベルの話では、到底、収まらないぐらい、の、根本的な違いがある。そうは思いませんか」

 Aくん、さらに、オオオッ、という表情。

 「抽象的な言い方かもしれませんが、私は、ほとんどの論戦が、そうした、近い未来と遠い未来との論戦のように思えるのです」

 するとAくん、オオオオオッ、という表情を見せつつ、ユルリと語り始める。

 「激動の時代、一般ピーポーが日々の生活に追われるのは、致し方のないことなのかもしれない。それゆえに、どうしても身近なモノに心が引き寄せられてしまうのだろう。となると、票を集めることに執着する政治家なるものもまた、どうしても身近なモノを提示せざるを得なくなるのもまた必然と言えなくもない。100年後、いや、200、300、年後、の、この国の、この星の、あるべき姿について熱く語ったところで、そのことが、票に繋がるとは、おそらく思えないのだろうな。つまり、それが、政治家、政治関係者なるものたち、の、なんとも情けなくも致命的な、宿命であり限界であるのかもしれない」

 大きく頷きながら私は、私なりの一つの結論に辿り着く。

 「だからこそ、権力をも含めたナニモノにも影響を受けず、惑わされず、屈せず、デンと構えて、遠い未来さえもシッカリと見据えることができる、正真正銘の、真実の、正義の、学者たちの存在が、必要だと思うのです」

(つづく)