ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.543

はしご酒(4軒目) その百と百と八十四

「チイサナセカイ ト オオキナセカイ ト」

 ヤヤもすれば、じゃ、相手を叩き潰せばいいじゃないか、と、どうしても思いがちだ。ごく身近な人間社会においても、身近でない国際社会においても、である。ヘタをすると、そのことが、「正義」にさえなりうる。正義もまた、世の中の情勢に合わせて、実に都合よく、立ち振る舞っていく、ということだ、とAくん。

 「それは、もはや、正義とは言えないのではないですか」、と私。

 「そう、その通り。正義などというものは、その解釈によって、その定義はナンとでもなる」

 呆れ果てる。

 陳腐で無知なご都合主義の解釈が、活字で書かれたもののほとんどを曖昧なものに、どころか、どちらかにとって都合のいいものに仕立て上げる。

 「そんな陳腐で無知な解釈などに振り回されているようでは、大きな世界のことを、真っ当に、真摯に、考えていくことなどできないじゃないですか」、と、ほんの少しだけ声を荒げる私。

 正義は、誰にとっても正義でなければならない。言い換えるならば、誰にとっても正義、でなければ、それは正義とは言えない。こんな、当たり前のことのように思えることも、ある、ものの考え方の前では、いとも簡単に全否定されてしまうのだろうか。

 「小さな世界の中だけの正義は、大きな世界の正義にはなり得ない、と、私は、思います」

 小さな世界でしか生息できないような、その程度の正義が、大きな世界でも幅を利かせようとする限り、この国の、この星の、遠い未来は、ただ相手を叩き潰すような、そんなものになってしまうのではないか、という絶望的な思いばかりが、私の中で、不気味に膨らんでいく。(つづく)