ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.375

はしご酒(4軒目) その百と二十六

「スーパーハライタイ ジャネンジャー」②

 「予期せぬことが起こる、思い通りにならない、先が見通せない、そんなとき、人は、随分と邪念まみれになる」、とAくん。

 「邪念まみれ、ですか」、と私。

 「そう、邪悪な念まみれ。心の、思考の、そのベクトルが、健全とは真逆の向きに舵を切り出すから厄介なんだ」、と語るAくんの表情も、なんとはなしに険しい。

 そんなことはないでしょう、と言いたいところだけど、順調なときには、思いも、考えも、しないような、そんな邪悪モードに身を置いてしまいそうになることが、追い詰められたときには、たしかに、あるような気がする。

 「そんなときこそ、が、人としての勝負のときなのであって、自分というものが試されているわけなんだろうけれど、悲しいかな、人は、ジリリジリリと邪念まみれになっていくんだよな」

 そんなAくんの、邪念にまつわる重量感ある悲観論を、悔しいけれど、そう簡単には否定できそうにない自分がいる。それほど、邪念は、厄介なのである。

 「スーパー戦隊系ヒーローは、ちょっと苦手なところもあるのだけれど、もしも、心に巣食う邪念を払うことに全身全霊をかけたスーパーヒーロー、スーパー払い隊ジャネンジャーなんてのが、仮に、颯爽と登場してくれたりしたら、心の底から惚れ直してしまうんだがな~」

 フムフムと聞いてはいたものの、少し、Aくんらしくないな、という思いもプクリと湧き上がる。

 そんな風に、単に待ち焦がれるだけでなく、できることなら、己もそのスーパー戦隊の一員になるぐらいの気概と覚悟をもって臨まない限りは、そんな都合のいいスーパー払い隊ジャネンジャーの登場など、あまり期待できそうにない。と、コッソリ思ったりする。

 そんな、そんな、そんなことを、あれこれ思ったり考えたりしているうちに、おもわず、「よ~し」、と、珍しく気合いを入れ直してみた、私なのである。(つづく)