ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1231

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と六十二

「サクヒンデ カタルベキダ ヤリカタガ デモノヨウデ ゲイジュツカ ラシクナイ」②

 そういえば、テレビ番組の制作に携わってきたある方が、こんなコトを宣っていた。

 「政治的な意図やメッセージを社会に訴えるためのドラマ使用、いかがなものか」

 なんとなく、この方のこの言葉もまたこの国らしいと思えてくるものだから、ソレはソレで実に興味深い。

 もちろん、彼のこの短いフレーズだけで彼の思いを、考えを、丸ごと全て察し切ることはできないが、ナニかが引っ掛かる。肝心要のポイントが、ズレてしまっているように思えてならないからだ。

 すると、いつになく短時間で沈黙の世界に別れを告げて帰還したAくん、が、本家の切れ味の唐突さで語り始めたのである。

 「芸術のための芸術。純粋芸術。って、ヤツだな」

 純粋芸術?

 「メッセージ性を排除したアート。とくに、政治色は御法度(ゴハット)」

 メッセージ性を、政治色を、排除?

 「ただ、キレイ。美しい。可愛い。おしゃれ。面白い。斬新」

 なるほど、ソレが純粋芸術か。

 「もちろん、ソレもアリかな。と、いう思い、ないわけじゃ、ない。芸術の有り様(ヨウ)は千差万別、多種多様。イロイロあっていい。イロイロあっていいのにコウあるべきだ、などと、宣い出す方々がいたりするから厄介なんだ」

 たしかに、厄介だ。

 「思うのですが」

 「ん?」

 「むしろ、注意を払わなければならないのは、その意図やメッセージの『質』ではないかと」

 「質?、質、ね~」

 「その質が真っ当であるのかないのかがわからなくなってしまった方々に限って、あるいは、真っ当であったら困る方々に限って、『政治的な意図やメッセージを社会に訴えるためのドラマ使用はいかがなものか』などと宣いがちなのではないか、って」

 「君は思うわけだ。そして、見事なまでの腑抜け娯楽ドラマになりにけり」

 腑抜け、娯楽ドラマ、か~。

 そんな、心根(ココロネ)、性根(ショウネ)、が、スコンと抜け落ちてしまったような芸術に、ドラマに、はたしてナニが、あるというのだろう。

 おそらく、彼は、「芸術は、ドラマは、無難に、無難に、ただワクワクドキドキの娯楽たれ。と、マジで思っているのだろうな。(つづく)