はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と六十一
「サクヒンデ カタルベキダ ヤリカタガ デモノヨウデ ゲイジュツカ ラシクナイ」①
美術館、抗議の場になりうるか。
美術館、抗議の場に、か~。
ある日の朝刊の、あるコラムの見出しだ。
この国の若きアーチストが、メガホン片手に、あのイスラエル、この防衛省、そして、そのあたりと関係している企業とその美術館との納得のいかない絡み、に、対して、抗議したとのこと。
ご多分に漏れず、予想通り、実にこの国らしく、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を中心に批判が相次いだようだ。
「作品で語るべきだ」
「やり方がデモのようで芸術家らしくない」
未だに、デモそのものの社会的地位が確立していないこの国だけに、この手の批判は、いつだって、巷で、条件反射のごとく沸き起こりがちだ。
他国の、とくに他の先進国たちのコトを殊更(コトサラ)もち出して、比較して、ドウのコウのと宣うのはあまり好まないけれど、少なくとも民主主義国家と自認されておられる国においては、こういったアーチストによる反体制的、反権力的、抗議、それほど珍しいコトではないらしい。
この違い、いったい、ドコからやって来るのだろう。
う~ん、なんだか、メチャクチャ、モヤモヤする。モヤモヤついでに、Aくんに、「現代アートとはナンですか」、と、彼が得意とする唐突さに負けないぐらいの唐突さで問うてみる。
唐突さを得意に、武器に、しているわりには、Aくん、唐突に攻め込まれることに弱く、鳩が豆鉄砲を喰らったかのような表情を見せつつ、ボソリと「現代アートとはナニか、ね~」と呟いたあと、またまた黙りこくってしまう。(つづく)