はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と五十三
「コバンザメ ノ ヒアイ」
動物園が好きだった。年齢を重ねるにつれて、植物園なるものの大人の面白みにハマったりもしたけれど、でも、最も、となると、やっぱり、水族館なんだよな、と、動物園からしてみれば、完全に裏切りの、そんなカミングアウトをしてみせた、Aくん。
水族館、か~。
水族館側の努力もあるのだろう。たしかに、以前に比べて、かなり充実しているような気はする。そして、その充実は、魚たちの日々の生活の充実感にも繋がっていると信じたい。
「初めて目にした時は、ホントに驚いた」
ン?
「そこの水族館のお姉さんに解説してもらって、さらに、感動したわけよ」
ナンのことだ?
「巨大な魚の腹部にへばり付いているんだぜ、ピタッと。凄いと思わないかい」
あ~、コバンザメ、ね。ナゾが解ける。
「もう、コバンザメのことが気になって気になって、ソコばかりに目がいく」
「不思議と言えば不思議、な、魚ですよね」
「吸盤でくっ付いてやる、というその発想自体、感動モノだろ」
吸盤、か~。
「まさに、愛の吸盤が取りもつ縁、ですね」
「愛の吸盤が取りもつ縁?。なるほど、上手いこと言うね~。でも、そんな僕イチオシの、実に愛くるしいコバンザメであるにもかかわらず、人間社会の中では、このコバンザメ、あまりいい意味では使われない」
あ~、たしかに、そうかもしれない。
「それどころか、むしろ、媚(コ)び、追従、迎合、の、その象徴みたいな扱いだ」
「コバンザメはコバンザメで、生きていくために必死のパッチかもしれないのに。切ないですね」
「切ないよな~」
十把一絡げ(ジッパヒトカラゲ)にして、「やだ~、コバンザメのような人ね」、などと、頭ごなしに揶揄することも批判することも容易(タヤス)いけれど、場合によっては、人によっては、コバンザメのような人はコバンザメのような人で、生きていくために、生き抜くために、必死のパッチであるに違いない、と、グングンと、思えてくる。
「コバンザメの悲哀、は、コバンザメのような人の悲哀、でも、あるのかもしれないな」
(つづく)