ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.29

箸休め

「リョウリ ニ ジュギョウ ガ ミエル」

 今宵のようなひとり酒は、やっぱりアテの、肴(サカナ)の、そのチカラを借りないと、寂しい酒となりがちだ。

 もちろん、「Aくんのスペッシャルな毒舌」という肴も、ソレはソレで良かったりするのだけれど、ココの親父さんがつくる肴もまた、かなりのオススメで、ドコにでもあるような安価な食材が、あたかも魔法のようにグッとくる肴に仕立て上げられたりするものだから、おもわず、「さすが、プロの技!」と唸ってしまうのである。

 この「料理(をつくる)」、Aくんが執念を燃やす「授業(をつくる)」と、非常によく似ている。

 たとえば、出汁(ダシ)。

 親父さんが手間隙かけてとる出汁(ダシ)もまた、当然のごとく絶品なのだけれど、この「出汁をとる」、親父さんは「出汁をひく」と言う。

 出汁をとる、ではなく、出汁をひく。

 「なぜに、ひく~、なのですか」、と、一度尋ねたことがある。

 「ん~ ・・・、旨味をひきだす、というところからかな~」

 ひきだす、ひきだす、か~。

 いい、実にいい響きだ。

 そうして旨味がひきだされた、出汁。店に入る前からモチベーションもテンションも上がりまくりの、その、出汁の香り、たまらない。

 もちろん、出汁だけじゃ、ない。

 下ごしらえにもかなりの時間をかける。包丁さばきも食材によって微妙にちがう。もちろん、食材によって包丁そのものを持ち替える。

 そんなアレやコレやを知れば知るほど、そこかしこで、「授業(をつくる)」、に、通じるモノを感じるのである。

 そんなコトを思ったりしながら、目の前に出されたナスの煮浸しを口に放り込む。そのジュワッと感、日本人(いや、きっと日本人に限らない全人類)のDNAの隅から隅までに染み入る。実際にDNAに染み入るのかどうかは知らないけれど。

 そんな授業なら、いいな。

 そんな授業であるのなら、勉強なんて大嫌いだった私も、もう一度、受けてみたいと思う。

 そう、シッカリと私に思わしてくれた親父さん特製のナスの煮浸し。理屈抜きにトンでもなく、美味い。

(つづく)