ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.26

鉢魚 その七

「ココロニヨイモノ ハ ヨイ」

 耳を疑いたくなるような、情けないニュースにはコト欠かない今日この頃。この国に生きる者として(というより、この星に生きる「人」として、かな)のプライドは、一体全体、ドコへいってしまったのだろう、と嘆くことしきり。

 ココロに良いモノを、ココロに悪いモノが圧倒する時代。実に厄介な時代だ。

 しかしながら、だからこそのココロに良いモノなのだ、と、Aくんは考える。

 いつもながらのわかりにくさである。それゆえ、珍しくその時は、勇気を出して、その意味を尋ねてみる。と、Aくん、簡潔に、こう答えてくれたのである。

 人はココロに良いモノで満腹になると、ココロに良いモノに気付かなくなる、感じなくなる、感じられなくなる。

 そう答えてはくれたものの、そのわかりにくさは、そのまま。しかしながら、珍しくその時は、私なりに、ふと、きっとコレは、あの、「タナカラボタモチ」理論ならぬ「タラナイカラボタモチ」理論だな、と、思ったわけ。

 そう、足らないからボタ餅、タラナイカラボタモチ理論。

 ココロに悪いモノばかりだからこそ、ココロに良いモノが足らないからこそ、ココロに良いモノが際立つんだ、ココロが求めるんだ、ココロに染みるんだ、とね。

 Aくんは、そんなココロに良い授業を夢見る、そうだ。

 「ソレはどんな授業ですか?」、と私。

 「ソレがわかれば苦労はしないよ」、とAくん。そう言ったあと、すぐに、ソコに補足するように、「大事なのは、そのココロイキだ」、と。

 ココロイキ?、 ココロ行き?、ココロへ行く?。

 あっ、あ~、そうか~。

 なるほど、なるほど、ココロに向かって突き進む、から、「ココロイキ」、な、わけだ。そうか、そうか、上手く言うよな~、まったく。などと、ブツブツ独り言ちつつズルズルと、自分の世界に入ってしまう。

 Aくんには申し訳ないけれど、いつだって、そんな小さなキッカケだけで、私は、ついつい、人の話をちゃんと聞いているようで、実は、ほとんど聞いていない、というような、そんな、実に失礼な私になってしまうのである。(つづく)