はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と六十九
「ナイユウガイカン!」
「内憂外患!」
ん?
「内憂外患。どういう意味か、ご存じか」
ないゆうがいかん?
その漢字すら思い付かない。
「内側のコトを憂(ウレ)い、外側のコトを患(ワズラ)う」
憂い、患う?
「なんだか、八方塞(フサ)がり感、ありますよね」
「あるある、ありまくる。それが、内憂外患だから」
う~ん・・・、内憂外患、か~。
「内側からも外側からも、鴨が、ではなく、きっとバカかも~、が、ネギ背負(ショ)って、ではなく、難儀(ナンギ)背負って、くる、みたいな、そんな感じだ」
きっとバカかも、が、難儀背負ってくる?
なかなかのわかりにくさだけれど、どちらかというとプラスのイメージの「鴨がネギ背負ってくる」の、その真逆にあるものが、おそらく、内憂外患なのだろう、ということだけは、なんとなくわかる。
「でもね、本来は、そういう意味じゃない、と、僕は思っている」
「えっ、違うのですか」
「違うね」
「ドコが、どう違うのですか」
「つまり、つまりだ。内側も外側も心配事だらけの八方塞がりで困ったものだ、などと、ただ嘆くのではなく、外側のコトを患うぐらいなら、その目を内側に向けてみろよ、そして、まず、内側の間違いを、歪(ユガ)みを、澱(ヨド)みを、正そうぜ、より良いものにしてみようぜ、という、そんな戒(イマシ)めこそが、内憂外患だということ」
なるほど。
そう考えることで、どこまでもネガティブなイメージの内憂外患が、一気にポジティブなものにそのイメージが一新される。ソレはとてもいいことだ。
「内憂外患。目一杯キナ臭い、こんな今だからこそ、あえて、この言葉を、世界中の権力を握るシモジモじゃないエライ人たちにプレゼントしたい、と、思うわけよ、僕は。すぐさま、結構です、と、送り返されてくるかもしれないけどね」
(つづく)