はしご酒(Aくんのアトリエ) その三十
「ヒトトシテ アマリニヒドクハナイデスカ」③
「いぶりがっこは、文句なしに、抜群に美味しいとは思いますけど、あの、真逆の真っ二つ問題と、ナニか関係があったりするのですか」、と、思い切って尋ねてみる。
すると、割り箸の先でツンツンと、その、いぶりがっこを突(ツツ)くような素振りを見せながら、Aくん、「この、燻(イブ)す、なんだと思うんだよな~」、と。
「えっ!?」
「燻す、この感じが、人の成長と似ている気がする」
「燻す、が、ですか」
さすがに、俄には納得し難い。
「言い換えるなら、人は、燻されなければ成長なんてできない、ということだ」
燻す、成長、真逆の真っ二つ。
落語の三題噺(バナシ)みたいな様相を呈してきたが、私ごときでは、この三つのお題から、気の利いた即興落語など、到底できそうにない。
Aくんは、その強気な姿勢を微塵も崩すことなく、一段と、語り続ける。
「たくあんがソウなのだから、人間だってソウに違いない、とは、思わないかい。干されて、漬け込まれて、燻される。人が、各々の人生の中で成長していくって、そんな感じだろ。そうして、ようやく、どうにかこうにか人の心の痛みが理解できるようになる、と、僕は思っている」
ここまで強気に押しまくられてしまうと、かなりの、突拍子もない持論であるにもかかわらず、ほんの少し、ソウかもしれないな、と、思えてきたりもする。
「と、いうことは、真逆の真っ二つ、とは、たくあん、と、いぶりがっこ、との、相容れ難いモノ同士の攻防、だということですか」、と、思いついたまま宣ってみる。
「いいね、それ。でだ、だからこその、教育だと思っている。学校教育に限らない、家庭や社会や、と、いった、そうした取り巻くもの全てから学ぶことの、その質と量とが、人を、たくあん、と、いぶりがっこ、とに、見事なまでに分けてしまう、ということだ」
全くもってナンの罪もない、たくあんたちには、ホントに申し訳ないのだけれど、なんとなくながらその感じ、理解できるような気がする。
そんなことを漠然と思いながら、もう一切れ、いぶりがっこを口の中に放り込む。(つづく)