ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.590

はしご酒(Aくんのアトリエ) その三十一

「リソウヲ ツイキュウシテ ナニガワルインジャー」①

 学校の先生をされてきた方を前にして、口幅ったいことを言うようですけれど、と、丁重に前置きした上で、Aくんの口から「教育」という言葉が出たその機を逃さぬようにして、私が考える「教育」のあるべき姿について、臆面もなく語り始めてしまう。

 「学校教育において、教える側が、ソレを支える側が、大切にしなければならないモノは、追い求めなければならないモノは、やはり、誰がナンと言おうと、理想、理想しかない、と、思っています」、と、Aくんの、その、斬新な、「たくあん、と、いぶりがっこ」理論に勝るとも劣らないほどの熱量で、私。

 「どうしても、そういった、理想、というものが、現代のこの社会に通用しない青二才の戯言(タワゴト)と、ドンと烙印を押されてしまいがちな、このところの世の中であるだけに、一層、強く、そう思うのです」、と、さらに膨らむ熱量のその力を借りて、突き進むがごとく語り続ける。

 とはいえ、そんな強気な私のその影には、酔いの勢いに任せてナニを偉そうに語り続けているのだ、と、自戒する、もうひとりの私がいたりもする。

 するとAくん、「ほ~、なるほど、いい視点だ。この世の中、たしかに、致し方なし、とか、背に腹は代えられぬ、とか、理想だけでは飯は食えない、とか、といったことでゴッタ返しているからな~」、と。

 Aくんに、そんなことを言ってもらったものだから、なんだか嬉しくなって、調子に乗って、「だから、学校までもが、その理想を、熱く語れなくなってしまったとしたら、もう世も末ではないですか、違いますか、そうは思いませんか」、と、さらに偉そうに、胸を張り気味に、強引に、同意を求めてしまう、私。

 「ソコまで君に、重く考えさせてしまうほどの、気になるナニかが、あったということだな」、という、Aくんの鋭い指摘に、たしかにそうだ、と、なんの抵抗もなく、瞬時に納得してしまう。そんなナニかがなければ、おそらく、こんなことを思ったりはしないし、わざわざ、こんな偉そうに宣ったりもしないのである。

 私の中のその奥で、長らく沈黙を守りながら隠れるようにして居座り続けてきたそのナニかを、一気に、呼び起こす。(つづく)