はしご酒(4軒目) その八十九
「タイガンノカジ ノ ニオイ ト ネツ」③
「君の親父さんは、おそらく、誰の心の中にも宿りうる、残酷さ、みたいなものを、何気なく寓話のようにして、伝えたかったんじゃないかな」
「残酷さを寓話のようにして、ですか」
父親が、そんなに深いところまで考えていた、とは、なかなかどうして、正直、思いにくいのだけれど、寡黙で口下手であったにもかかわらず、語り始めた「対岸の火事」物語であるだけに、もしかしたら、Aくんが言うように、伝えたかったナニかがあったのかもしれない。
「その川の幅が、人と人との心の距離、痛みの距離、だということだ」
「痛みの距離、ですか」
「そう。だって、川向こうでは、家が焼け、多くの人々が逃げ惑い、そして、焼け死んだりしているわけだろ」
「信じられないほど夜空が真っ赤に染まった、って言ってましたから、きっと、そうだったと思います」
「それでも、その臭いと熱が、川を飛び越えてくるまでは、高みの見物であったわけだ」
なんだか、ドキリとする。そして、なぜだか、あまりいい気分でもない。にもかかわらず、なんとなく、ベールが一枚、ペロリと剥けたような気がしてくるから、不思議だ。
「もちろん、君の親父さんのことを、どうこう言うもりなんて微塵もない。人間なんてものは、ボンヤリしていると、気をつけないと、いつだって、対岸の火事なんだ、ってことを、君に、伝えようとしたんじゃないかな」
対岸の火事か~。
遥か向こうの対岸の火事の臭いや熱を、リアルに感じ取れる心の力は、このようなグローバルな時代だけに、余計、大切だと思える。
寡黙で口下手であった父親からの、ちょっとした贈り物であったのかもしれないな。(つづく)