はしご酒(Aくんのアトリエ) その八百と五十四
「オカネノ コトデ アキラメル?」
「結局、ナニが、言いたいのか。そこんところがサッパリってこと、結構、あったりするからな」
ある、ありまくる。
「たとえば、あの、『さもしい顔して貰えるモノは貰おうとする人がいる』」
あ、あ~、あれか。
「己は、ウジャッと献金してもらっているにもかかわらず、エラそうに、他人(ヒト)のカネに頼るな、ってか」
ん~。
「己のことは己で、ってか」
ん、ん~。
「有権者は有権者で、私自身の生活が苦しいのに、ナゼ、あんな他人のためにカネが使われなきゃならないのか、ってな」
んん、ん~。
あの人たちが大好きな、自己責任、ってヤツか。
「カネがないなら病院に行くな。カネがないなら大学になんて行くな。カネがないなら己の国に帰ればいい」
んんん、ん~。
少数派だと思われていたそうした新自由主義的な考え方が、むしろ多数派になりつつあるというから恐ろしくなる。
「強者を批判する、批判できる、国に、未来はあるが、弱者を目の敵(カタキ)にするかのようにして甚振(イタブ)る国に、切り捨てる国に、未来があるとは、到底、思えねえんだよな」
同感。
おカネのことで諦(アキラ)めなければならない、悲劇。に、誰も心痛まなくなってしまった国に、未来なんてあろうはずがない。
「又聞きではあるけれど、あの、一定額以上は支援が受けられる高額医療制度だっけ、アレも、一人あたり、年、数千円で維持できるらしい。年間数千円だぜ。ソレで、家族の誰かが、大切な人が、突然、高額医療を受けなければならなくなった時の安心感を得ることができるわけ。ソコに、助け合う、助け合える、意義、その素晴らしさ、みたいなモノを、少なくとも僕は感じるんだがな~」
全くもって、同感。
そういえば、保険料をほんの少し軽減して「皆さまのために私たちは頑張っているんだ」感を思いっ切り前面に押し出しつつ制度利用者の負担額は大きく引き上げる、と、いうようなことを耳にした。おそらく、「数」。「数」があってこその「票」。そう、票。つまり、ナニよりも大事なその票に、集票に、制度利用者に寄り添ったところで大して繋がらない、と、いうことなのだろう。ならば制度利用者には犠牲になってもらおう、自己責任でやってもらおう、が、あの人たちの本音。そんな気がする。
「生きることを、学ぶことを、おカネがないから諦める。そんな悲劇が大手を振って罷り通るような国に未来はない。と、私も思います」
(つづく)
追記
ナニかにつけて不穏な空気が漂いがちな今日この頃。
ではあるけれど、ナニがナンでもステキな年に。