ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1407

はしご酒(Aくんのアトリエ) その八百と三十八

「ステザルヲ エナカッタ?」

 「あきらかに」

 ん?

 「あきらかに、ナニかが違う」

 ナ、ナンの話か。ナニが違うのか。

 「この国で、こんな国で、女性が勝ち上がるためには、登り詰めるためには、男であれば、まず、捨てなくてもいいようなナニかを、女性であるがために捨てざるを得なかったんじゃねえか、ってな」

 ん~。

 かも、かもしれない、か。

 「性」、というか、「性別」、に、頑固なまでに保守的で、固定概念にドップリの、この国のこんな社会では、女性は、そのナニかを捨てなければ勝ち上がれない、という思い、私にもないわけではない。

 「元始、女性は実に太陽であった」

 おっ。

 「平塚らいてう(ライチョウ)の言葉ですよね」

 今宵、二度めの登場の平塚らいてう。の、大、名言。

 不覚にも、あの、野村克也の名言、「王や長嶋は向日葵(ヒマワリ)。私は日本海の海辺に咲く月見草(ツキミソウ)」と似ている、と、言ってしまって、秒速で、全否定されてしまったヤツ。なのだけれど、申し訳ないが、今でも、コッソリと、似ていると思っている。

 「そう、平塚らいてうの言葉だ。けれど、今も、もし、彼女が生きていれば、こう、嘆かれるかもしれない」

 ん?

 「『未だ、女性は月である。男どもによって生かされ、男どもの光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である』とな」

 ん~。

 とはいえ、女性の社会進出は目覚ましく、今も尚、病人のような蒼白い顔の月、とまでは、私には思えないのだが。

 「納得していないようだな」

 えっ。

 「そ、そ、そんなこと、ないです」

 「そ、そ、そんなこと、あります。としか聞こえんがな」

 しまった。完全に見抜かれている。

 「ま、いいけど。とにかくだ。男どもが女性に求めているのは、あくまでも、ドコまでも、月。太陽によって、ほとんど太陽と同じぐらい明るく輝いていたとしても、そう見えていたとしても、『月』。な、わけ」

 ん、ん~。

 あくまでも、ドコまでも、月、か~。

 「当然の如く、この『女性は月たれ』理論、この社会の古今東西上下左右に垣間見られるわけだけれど、ソレが、気持ち悪いぐらい顕著なのが、政界。とくに、保守的、というか、『右』、と、言われがちなあの人たちの世界。ソコでは、絶対に、女性を、『太陽』とは認めない」

 だから。だから、男なら捨てなくてもいいようなナニかを捨てざるを得ない、得なかった、ということか。

 「『人権』というモノに対して先進的な国の女性のトップたちと比べて、あきらかにナニかが違う。と、どうしても思えてしまうのは、ソコに、この国が抱える如何ともし難い闇が、カチカチの差別の塊(カタマリ)が、ジェンダーロールがミソジジーが、居座り続けているからなんだろうな」

(つづく)