はしご酒(Aくんのアトリエ) その八百と三十八
「ステザルヲ エナカッタ?」
「あきらかに」
ん?
「あきらかに、ナニかが違う」
ナ、ナンの話か。ナニが違うのか。
「この国で、こんな国で、女性が勝ち上がるためには、登り詰めるためには、男であれば、まず、捨てなくてもいいようなナニかを、女性であるがために捨てざるを得なかったんじゃねえか、ってな」
ん~。
かも、かもしれない、か。
「性」、というか、「性別」、に、頑固なまでに保守的で、固定概念にドップリの、この国のこんな社会では、女性は、そのナニかを捨てなければ勝ち上がれない、という思い、私にもないわけではない。
「元始、女性は実に太陽であった」
おっ。
今宵、二度めの登場の平塚らいてう。の、大、名言。
不覚にも、あの、野村克也の名言、「王や長嶋は向日葵(ヒマワリ)。私は日本海の海辺に咲く月見草(ツキミソウ)」と似ている、と、言ってしまって、秒速で、全否定されてしまったヤツ。なのだけれど、申し訳ないが、今でも、コッソリと、似ていると思っている。
「そう、平塚らいてうの言葉だ。けれど、今も、もし、彼女が生きていれば、こう、嘆かれるかもしれない」
ん?
「『未だ、女性は月である。男どもによって生かされ、男どもの光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である』とな」
ん~。
とはいえ、女性の社会進出は目覚ましく、今も尚、病人のような蒼白い顔の月、とまでは、私には思えないのだが。
「納得していないようだな」
えっ。
「そ、そ、そんなこと、ないです」
「そ、そ、そんなこと、あります。としか聞こえんがな」
しまった。完全に見抜かれている。
「ま、いいけど。とにかくだ。男どもが女性に求めているのは、あくまでも、ドコまでも、月。太陽によって、ほとんど太陽と同じぐらい明るく輝いていたとしても、そう見えていたとしても、『月』。な、わけ」
ん、ん~。
あくまでも、ドコまでも、月、か~。
「当然の如く、この『女性は月たれ』理論、この社会の古今東西上下左右に垣間見られるわけだけれど、ソレが、気持ち悪いぐらい顕著なのが、政界。とくに、保守的、というか、『右』、と、言われがちなあの人たちの世界。ソコでは、絶対に、女性を、『太陽』とは認めない」
だから。だから、男なら捨てなくてもいいようなナニかを捨てざるを得ない、得なかった、ということか。
「『人権』というモノに対して先進的な国の女性のトップたちと比べて、あきらかにナニかが違う。と、どうしても思えてしまうのは、ソコに、この国が抱える如何ともし難い闇が、カチカチの差別の塊(カタマリ)が、ジェンダーロールがミソジジーが、居座り続けているからなんだろうな」
(つづく)