ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1395

はしご酒(Aくんのアトリエ) その八百と二十六

「ソウサイセン オサイセン ト チャイマッセ~」

 お賽銭(サイセン)。

 神さま~、仏さま~、への、細(ササ)やかなる感謝の気持ち、が、お賽銭。神社仏閣の運営に携わる人たちからしてみると、その額、多ければ多いほどいい、ということになるのかもしれないが。神さま、仏さま、的には、額など全く関係なく、柏手を打つ、手を合わせる、その気持ちが、「いつも私たちのコトを見守っていてくれてありがとうございます。コレからも宜しくお願いいたします~」という、その気持ちが、その気持ちこそが、ナニよりも大事。

 一方、総裁選。

 「お賽銭」とは、ナンとなく、語呂は似ているものの全くもって似て非なるモノ。そもそも、総裁選なるものに、総裁選に出馬されておられる方々に、対して、ほとんどの一般ピーポーたちは、日々の感謝の気持ちなんて抱いていないだろう。

 もちろん、利害で濃厚に結ばれ繋がっている場合は、ソレなりに、ソレゆえに、ソレ系の感謝の気持ちは抱いているのかもしれない。が、利害抜きの純粋な感謝の気持ちとなると、はたして、どうだろう。甚だ、疑問である。

 そういえば、一年ほど前。

 他の候補者と違って、国民の思いに寄り添った発言で、圧倒的にシモジモから期待され、ドウにかコウにか総裁に選ばれた方が、党の「圧」のせいだろうが、なんと、選ばれた途端にオキテ破りの掌(テノヒラ)返し。「総裁選の発言は公約ではない」などと言い訳三昧だ。

 そう。掌返しと言い訳の、オンパレードであったのである。

 ならば、党内で、お好きなようにやればいいのだ。ナゼ、総裁選の、その、白々しい過程を、その、その場しのぎの無責任な訴えを、我々一般ピーポーに知らす必要があるのか。我々一般ピーポーが見る必要が、聞く必要が、あるというのか。

 ひょっとしたら。

 テレビ局をも、某国民営放送局をも巻き込んで、「ヨソと違って我が党は、皆さまのより良い生活を願って、こんなにも、イロイロと考えておりますの」、と、一大キャンペーンを打ったに過ぎないのかもしれない。

 そう。党を挙げての、PR(ピーアール)映像。というか、渾身のティザー映像。

 まさに、詳細をあえて隠すことで好奇心を刺激するという、ティザー映像。の、その制作目的に、見事なまでに合致する。

 ナニがナンでもドコまでも大阪弁の、あの、Oくんが、今、ココにいたら、間違いなく、きっと・・・

 「総裁選。お賽銭、と、ちゃいまっせ~」、って、言うてはったやろな~。

(つづく)