はしご酒(Aくんのアトリエ) その八百と四
「サベツハツゲン ニ ハクシュガ オコル?」
傲慢で、トンでもなく差別的な発言を繰り広げる候補者、その関係者、たち。に、対しては、もう、半ば、諦(アキラ)めにも似た気持ちになりつつある。もちろん、好ましいコトではない。諦めは、あの人たちにとって思う壺だから。けれど、堅牢でダークな鎧(ヨロイ)で身を固めたあの人たち、の、その魂の濁りを削ぎ落とすことなど、到底、できないのでは。と、どうしても思ってしまう。
ただし。
そうした差別的な発言に、演説に、拍手が起こることには、ただならぬ危機感を抱いている。
そう、拍手。笑いと共に、拍手が起こるのである。
ナゼ、拍手が起こるのか、起こってしまうのか。候補者の発言の、ドコに、ナニに、感銘を受け、共感し、拍手するのか、することができるのか。まさに、ナゾがナゾ呼ぶナゾナゾワールド。その闇は、思いの外、深く、暗く、そして、不気味な広がりを見せている。
そんな中。
関係者のこの言葉。
私は差別主義者ではないし、差別を擁護するつもりも助長するつもりもサラサラない、と。
差別を否定?
ただ、行き過ぎた平等思想を、逆差別的な公平感を、是正したいだけなのだ、と。
行き過ぎた平等思想?
逆差別的な公平感?
を、是正?
コレか。コレだな。きっと。
ボンヤリと聞いていると、たしかに、なんとなく、真っ当なコトを宣っておられるように思えなくもない。
けれど。
コレまでの理不尽極まりない差別と迫害の歴史を、そして、ヒリヒリとしたこの今の事実を、検証もせず、いとも簡単に捏造と断じ、更に、攻撃の対象にさえしてしまっている。
おそらく。
あの「拍手」は、そういったそのあたりから起こってくるのだろう。
つまり。
決して、私たちは、差別に荷担しているわけでも差別に拍手しているわけでもない。今まで放置されてきた様々な不公平感に対して、勇気を振り絞って声を上げてくれた候補者に、その関係者に、その熱き思いに、私たちは拍手をしているだけなのだ、と。
もしも。
本当に、そんなコトを思い、拍手されているのだとしたら、もう、マジで、見事なまでの詐欺師の手口、手法、が、功を奏したと思わざるを得ない。そして、一般ピーポーたちのそういった「救いを求める」気持ちを上手い具合に利用して、つけ入って、票を掠(カス)め取るのだ。
ふ~。
だから。
だからこそ、カルト。カルト的手口、手法。と、いうことになるのだろう。
思いっ切り漠然と、そんなコトをアレコレ考えたりしていると、さすがに口の中が、喉のあたりが、ヤケにイガイガとしてきたものだから、辛うじて溶けないでいてくれた小さな氷をグラスに放り込んで、ソコに、五島のジンをほんの少しだけ垂らし入れる。そして、指でクルクルと。
ホント、マジ、いい香りだ。
グビリと。
気持ち良すぎるぐらい、イガイガは、嘘のようにスカッと洗い流された。(つづく)