はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と九十九
「イキルモ シヌモ スベテ シュクンノ タメ」
「義。勇。仁。礼。誠。名誉。忠義」
おっ。
「南総里見八犬伝、ですね」
「似てはいるが、ちと違う」
えっ。
「アレは、たしか。仁。義。礼。智。忠。信。孝。悌(テイ)」
Aくんには申し訳ないが、同じモノにしか聞こえない。
「ナニが、ドコが、違うのですか」
「違うだろ」
へっ。
「と、言いたいところだが、そんなには違わない」
ほっ。
「で、その、義、勇、ナンたら、カンたら、って、いったい」
「武士道」
「ぶ、武士道、ですか」
「誰だったかは忘れたが、武士道の教えを、端的に、言い表したモノ。義。勇。仁。礼。誠。名誉。忠義」
武士道、か~。
しかし、その武士道が、どうしたというのか。
「ひょっとしたら、あの人たちは、この『義。勇。仁。礼。誠。名誉。忠義』を、憲法前文に入れ込みたいんじゃねえのか、どころか、憲法の根幹に、中核に、据えてしまいたいんじゃねえのか、ってな」
武士道の教えを、その精神を、憲法の中核に、か~。
「あまりにも自分本位に、身勝手に、なってしまいがちな、こんな、現代社会であるだけに、そんな、現代人であるだけに、一つの教えとして、戒めとして、意味はあると思う」
同感。
私も、あると思う。
「あると思うが」
ん?
「だが、しかし。この国の民は、皆、こうあるべきと、こうでなければならないと、強要、強制されるモノではないはずだ」
ん、ん~。
「『名誉、忠義、に、生きよ』だぜ。ナゼ、そんなコトを強いられなければならないのか。ナゼ、そんなモノのために生きなければならないのか」
ん、ん、ん~。
と、いうことは、つまり。
圧倒的な権力を握ってしまった強者たちは、古今東西、いつだって、シモジモの者たちを、弱者たちを、掌握、管理、支配、したがりがち。だから、そのために、武士道の教えは、精神は、使える。上手く利用できる。と、いうことか。
「『生きるも死ぬも、全て、主君のために』、に、繋がりかねない危険性に満ち溢れているということだ」
(つづく)