はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と八十四
「アヤマチテハ スナワチ アラタムルニ ハバカルコト ナカレ」
「過ちては、則(スナワ)ち、改(アラタ)むるに、憚(ハバカ)ること勿(ナカ)れ」
「えっ!?」
「あの、孔子の言葉」
「ろ、論語、ですか」
「そう」
論語読みの論語知らず、などと言われたりするが、恥ずかしながら、読む、どころか、手に取ったことさえない。
「コトある毎にナニかと撤回されるあの人たちは、この孔子の言葉の意味を、果たして、理解されているのかどうか、甚だ、怪しい」
たしかに、あの人たちは、ヤタラと失言するし、ヤタラと撤回する。その、あまりの「ヤタラと」感に、ソレって確信犯?、と、どうしても勘繰りたくなる。
「つまり、あの人たちは、本音の部分では過ちなどとは思っていないし、だから、改めようともしていない、ということだ」
本音の部分では、やはり、確信犯、か。
「ソレって、確信犯ですよね」
「だな。だって、間違いなく喜ぶピーポーたちがいるから」
あ、あ~、またまた「小」政治家、か。
「法に照らしても、常識的な一般通念からしても、問題アリアリで、それゆえ、当然のごとく、善良な市民からも有識者からも、メディアからも、批判も指摘もされてしまうけれど、喜んでくれるピーポーたちがいるのなら、時折、リップサービスも必要だろ」
「リ、リップサービス、ですか」
「そう。だから、一見、謝罪会見のように見える謝罪会見も、よくよく目を凝らして、耳をダンボのようにして、見て、聞いて、ごらんよ。微塵も謝罪なんてしてねえから」
なるほど。
たしかに、あの人たちが、己の考えの、言動の、問題点を見つめ直し、反省し、心の底から申し訳なく思う、などというような謝罪会見を、見た記憶がない。悲しいかな、いつも、不快な思いをされた方には、とか、不適切であった点に関しては、と、いった、実にテクニカルな、上っ面ばかりの誤魔化し弁明ばかりである。
「ま、打ち上げ花火としては成功なのかもしれねえけどな」
打ち上げ花火、か~。
「たまや~。かぎや~。よくぞ言ってくれた、さすがや~。たいしたもんや~。りっぱなもんや~。ってね」
(つづく)