ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1353

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と八十四

「アヤマチテハ スナワチ アラタムルニ ハバカルコト ナカレ」

 「過ちては、則(スナワ)ち、改(アラタ)むるに、憚(ハバカ)ること勿(ナカ)れ」

 「えっ!?」

 「あの、孔子の言葉」

 「ろ、論語、ですか」

 「そう」

 論語読みの論語知らず、などと言われたりするが、恥ずかしながら、読む、どころか、手に取ったことさえない。

 「コトある毎にナニかと撤回されるあの人たちは、この孔子の言葉の意味を、果たして、理解されているのかどうか、甚だ、怪しい」

 たしかに、あの人たちは、ヤタラと失言するし、ヤタラと撤回する。その、あまりの「ヤタラと」感に、ソレって確信犯?、と、どうしても勘繰りたくなる。

 「つまり、あの人たちは、本音の部分では過ちなどとは思っていないし、だから、改めようともしていない、ということだ」

 本音の部分では、やはり、確信犯、か。

 「ソレって、確信犯ですよね」

 「だな。だって、間違いなく喜ぶピーポーたちがいるから」

 あ、あ~、またまた「小」政治家、か。

 「法に照らしても、常識的な一般通念からしても、問題アリアリで、それゆえ、当然のごとく、善良な市民からも有識者からも、メディアからも、批判も指摘もされてしまうけれど、喜んでくれるピーポーたちがいるのなら、時折、リップサービスも必要だろ」

 「リ、リップサービス、ですか」

 「そう。だから、一見、謝罪会見のように見える謝罪会見も、よくよく目を凝らして、耳をダンボのようにして、見て、聞いて、ごらんよ。微塵も謝罪なんてしてねえから」

 なるほど。

 たしかに、あの人たちが、己の考えの、言動の、問題点を見つめ直し、反省し、心の底から申し訳なく思う、などというような謝罪会見を、見た記憶がない。悲しいかな、いつも、不快な思いをされた方には、とか、不適切であった点に関しては、と、いった、実にテクニカルな、上っ面ばかりの誤魔化し弁明ばかりである。

 「ま、打ち上げ花火としては成功なのかもしれねえけどな」

 打ち上げ花火、か~。

 「たまや~。かぎや~。よくぞ言ってくれた、さすがや~。たいしたもんや~。りっぱなもんや~。ってね」

(つづく)