はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と六十六
「ヨカレト オモッテ」
「善人、な、だけなのかもな」
ん?
「無理やり、強引に、『悪人ではない』前提で考えれば考えるほど、単なる、賢者ではない善人、アホ善人なだけという気がしてきた」
賢者ではない、アホ善人?
先ほども話題に上がっていた「善人は賢者たれ」理論の、第2ラウンドか。
「トンでもなくピントもナニもカもが外れた言動の全てが、いわゆる『良かれと思って』だったとしたら、ソレはソレでソレなりに、かなり厄介なわけだ」
良かれと思って、か~。
ココは、思い切って、私、
「普通なら、相手を思う優しさの塊(カタマリ)の代表選手のような『良かれと思って』の、その、厄介さの、罪の深さの、最大の要因って、いったい、ナンなのでしょう」
と、思い切って問うてみる。
すると、Aくん、
「ソレは、おそらく、『相手思いじゃ、ない』ということなんだろう」
と、間髪入れずに秒速で答えてみせる。
「相手思いじゃ、ない、ですか」
「そう。良かれと思って、の、その先にいるのが、相手ではなく、己、己だったってこと。つまり、自分本意の、自己満足の、善行の押し売りだということだ」
善行の、押し売り、か~。
「しかも、しかもだ。当の本人は、ソレが、自分本意とも自己満足ともサラサラ思っちゃ~いない。あくまでも、ドコまでも、相手を思ってのこと、良かれと思ってのこと、と、本気で思い込んでいるからこそ、厄介だし罪深いんだ。コレって、かなり、怖いだろ」
ん~。
ちょっとしたスリラー映画のようで、たしかに、かなり怖い、か。
ん?
そう言えば。
ドコかの首長が、「行き過ぎた点はあったかもしれないが、全ては県政のため、県民のため、良かれと思って」みたいなコトを、ヤタラと自信満々に、エラそうに、宣いまくっていた。ひょっとすると、コレもまた、己思いを相手思いと思い込んでいる、信じて疑わない、賢者ではないアホ善人の、自分本意の、自己満足の、ついでにウルトラ自己保身の、「善行」というヤツなのかもしれない。(つづく)