はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と六十五
「テイインワレ ト ハイコウ ト コストカット ト コウキョウイク ト」
ん?
「10年以上前に強引に制定された、3年連続で定員割れ、閉校?、廃校?、という、短絡的、というか、高圧的、脅迫的、な、条例が、その原因の全てなのかドウかはわからないけれど、その自治体では、廃校が、かなり特異的に、増え続けているらしい」
んん?
「ひょっとしたら、そうした廃校は、あの人たちにとっては願ったり叶ったりの想定内で、『シメシメ』以外のナニモノでもないんじゃねえのか、ってね」
廃校が、シメシメ?
「で、その同じ線上にあるのが、なんとなく受けもいい高評価の『私立高校無償化』。一見、子どもたちのことを最優先に考えているように見えるけれど、よくよくジックリと目を凝らして見てみると、体(テイ)のいい公教育潰(ツブ)しにしか見えなかったりするわけ」
体のいい、公教育潰し、か~。
「言うなれば、公教育の民営化。あの、国鉄や郵便局と同じように、効率化やらサービスの向上やらを謳(ウタ)い文句にして、『公』から、地方公共団体から、切り離す、切り捨てる」
効率化、向上、の、ために、公から、地方公自治体から、切り離す、切り捨てる、か~。
たしかに、ソレなりに聞こえはいい。
だけど、大抵の場合、『子どもたちを最優先に』とは真逆の道を突き進みがちであるように思える。
「その手の効率化、って、コストカット、コスト削減ばかりで、まず、公教育の向上に、グレードアップに、繋がりませんよね」
「そう、繋がらない。そんな聞こえだけがいい、近視眼的で中途半端な『無償化』なんてモノより、もっと、しなければならない重要なコトがあるはずだ」
無償化。
おっしゃる通り、聞こえはいい。でも、聞こえがいいモノは「票」にだけは繋がりやすいから、その票集めのためにも「聞こえはいい」モノに命を懸けたがるのだろう。
「たとえば。むしろ少子化をチャンスと捉えて、手厚い少人数クラス。リモートも含めた多様な授業形態、多様なニーズに応えられる多様なコース設定。もちろん、施設そのものも学び舎(ヤ)としてのグレードアップが必要だ。古びたキチャない校舎じゃ、ヤル気なんて出ないだろ」
「コストカットではなく、コストモアでなければならない、ということですか」
「そう、コスト、モア~。ツベコベ言わずに公教育にカネをかけろ、って話。ソレが、心も技量も充実した先生方の定着にも繋がっていく。公教育の先生なんかするより塾の先生だろ、じゃ~な~、公教育に未来があるとは、誰も、思わんだろ」
公教育の、未来、か~。
少なくとも、廃校が相次ぐその地方自治体の公教育に、明るい未来があるとは、到底、思えない。
「つまり、つまりだ。学校中に漂う、温かく、ユルリとした空気の、時間の、流れ。の、中で、勉強が得意とか苦手とかなんて、経済的に恵まれているとかいないとかなんて、全くもって関係なく、ありとあらゆる全ての子どもたちが、子どもたちの教育を受ける権利が、ハイレベルに保障された公教育でなければダメだってことだ」
(つづく)
追記
カネがかかる公教育。
カネを生まない、公教育。
そんなモノは、できる限り私学にお任せすることにして、とりあえず、閉校、廃校。
で、その跡地を、カネを生む再開発。
みたいな、そんなコトなんじゃないのか、と、申し訳ないが、どうしても、勘繰ってしまいたくなるのである。
ん?
大所高所(タイショコウショ)から見てみると、この安易な私立高校無償化、ひょっとしたら私学潰しにも繋がってしまいそうな。