はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と三十五
「テレビハネ~ サイキン シンヨウデキナイカラ ミナイヨ」
「テレビはね~、最近、信用できないから見ないよ」
ん?
「と、宣いがちなピーポーが、最近、どうも、目に付きがちなんだよな」
その「がちがち」、私も気にはなっていた。
「で、ナゼか、YouTube(ユーチューブ)なわけでしょ」
「そう、そういうこと。あたかも、YouTubeが真実の代弁者であるかのように」
そういう私も、某国民営テレビ局のドキュメンタリー系のモノ以外は、あまり見なくなってはいる。だけど。
「ファクトチェック機能が働いているかどうか、という点で見てみると、むしろ、YouTubeの方が、圧倒的に信用できないかもしれませんよね」
「できない、できない。とくに政治絡みは、そう簡単には信用なんてできねえな」
政治絡みは、そう簡単には信用できない、か~。
ん~・・・。
全くもって情けない話だが、YouTubeに限らずどんなメディアも、「政治」系が絡むと、俄然、信用できなくなりがちだ。局にもよるかもしれないが、とくに民放の、あの、ニュースバラエティ番組の、ワイドショーの、底抜け感は、トンでもなくハンパないように思えてならない。
「そんな、真実と嘘とがゴチャ混ぜの中から嘘を見抜くのは、まさに、まさに至難の業。けっして容易くはない」
そう、容易くはない。テレビであれYouTubeであれ、容易くなんてないのである。
「でも、ナゼ、テレビだけが信用できないと、自信満々に宣えるのでしょう」
「『YouTube』信仰、かもな」
「YouTube信仰、ですか」
「そう。テレビに嘘を吐(ツ)かれ続けてきたものだから、新たなる情報ツールに身を委ねたいんだろう、きっと」
「テレビごときに嘘を吐かれてきたことに対する、民衆の、一種のクーデター、ですね」
「クーデター、ね~。かもしれねえな」
朧気(オボロゲ)ながらも、ナゼ、YouTubeなのか、の、その理由が見えてきたような気はする。だけど。
「と、いうトコロまでは、百歩譲って理解できなくもないのですが、そんなテレビごときの嘘を見抜けない者が、どうやってYouTubeの嘘を見抜くのか、が、私には、謎、過ぎるわけです」
「いやいや、そんなもん、謎でもナンでもない。信者のフィルターは、どうしても精度が落ちがちだからな」
信者のフィルター?
精度が落ちがち?
信仰が、一人ひとりの視野を狭くして、情報の真偽を見抜くフィルターの精度を落とす、か。
「精度が落ちてしまったフィルターじゃ、嘘は、間違いなくスルスルと擦り抜ける。擦り抜けまくる。そして、そうして擦り抜けた嘘たちによって、情報操作の使命を帯びた嘘たちによって、いいように、誘導、洗脳、されるのがオチだ」
(つづく)