ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1304

はしご酒(Aくんのアトリエ)  その七百と三十五

「テレビハネ~ サイキン シンヨウデキナイカラ ミナイヨ」

 「テレビはね~、最近、信用できないから見ないよ」

 ん?

 「と、宣いがちなピーポーが、最近、どうも、目に付きがちなんだよな」

 その「がちがち」、私も気にはなっていた。

 「で、ナゼか、YouTube(ユーチューブ)なわけでしょ」

 「そう、そういうこと。あたかも、YouTubeが真実の代弁者であるかのように」

 そういう私も、某国民営テレビ局のドキュメンタリー系のモノ以外は、あまり見なくなってはいる。だけど。

 「ファクトチェック機能が働いているかどうか、という点で見てみると、むしろ、YouTubeの方が、圧倒的に信用できないかもしれませんよね」

 「できない、できない。とくに政治絡みは、そう簡単には信用なんてできねえな」

 政治絡みは、そう簡単には信用できない、か~。

 ん~・・・。

 全くもって情けない話だが、YouTubeに限らずどんなメディアも、「政治」系が絡むと、俄然、信用できなくなりがちだ。局にもよるかもしれないが、とくに民放の、あの、ニュースバラエティ番組の、ワイドショーの、底抜け感は、トンでもなくハンパないように思えてならない。

 「そんな、真実と嘘とがゴチャ混ぜの中から嘘を見抜くのは、まさに、まさに至難の業。けっして容易くはない」

 そう、容易くはない。テレビであれYouTubeであれ、容易くなんてないのである。

 「でも、ナゼ、テレビだけが信用できないと、自信満々に宣えるのでしょう」

 「『YouTube』信仰、かもな」

 「YouTube信仰、ですか」

 「そう。テレビに嘘を吐(ツ)かれ続けてきたものだから、新たなる情報ツールに身を委ねたいんだろう、きっと」

 「テレビごときに嘘を吐かれてきたことに対する、民衆の、一種のクーデター、ですね」

 「クーデター、ね~。かもしれねえな」

 朧気(オボロゲ)ながらも、ナゼ、YouTubeなのか、の、その理由が見えてきたような気はする。だけど。

 「と、いうトコロまでは、百歩譲って理解できなくもないのですが、そんなテレビごときの嘘を見抜けない者が、どうやってYouTubeの嘘を見抜くのか、が、私には、謎、過ぎるわけです」

 「いやいや、そんなもん、謎でもナンでもない。信者のフィルターは、どうしても精度が落ちがちだからな」

 信者のフィルター?

 精度が落ちがち?

 信仰が、一人ひとりの視野を狭くして、情報の真偽を見抜くフィルターの精度を落とす、か。

 「精度が落ちてしまったフィルターじゃ、嘘は、間違いなくスルスルと擦り抜ける。擦り抜けまくる。そして、そうして擦り抜けた嘘たちによって、情報操作の使命を帯びた嘘たちによって、いいように、誘導、洗脳、されるのがオチだ」

(つづく)