はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と二十五
「キギョウダンタイケンキン ト コジン ノ イシ ト」
「いったい、ナニに、ソレほどまでにカネ(金)がかかるのか、僕ごときにはサッパリわからないし、わかりたくもないけれど、「だから、どうしても、ソコまで政党助成金も企業団体献金も必要なんだ」と宣うのなら、せめて、その政党助成金の使途を、企業団体献金の出所を、できる限りクリーンに、オープンに、しようと、意地でも努力するのが真っ当な政治家であるはずだろ。それがどうだい、あの、情けなくなるほどの体(テイ)たらく。情けないよ、まったく」
そう一気に捲し立てたAくん。そういえばAくん、選挙の度にこの話題に触れがちだ。そして、もちろん、Aくん同様、私も、ナゼ、ソレほどまでにおカネがかかるのか、サッパリ、わからない。
「たとえば、この町にとって、この国にとって、この星にとって、あなたのその考えは真っ当かい?。あなたのその考えは、手に入れたカネたちのために歪んでしまってはいないかい?。って、話」
カネたちのために歪められてしまう、か~。
ん~、そもそも、そもそもだ。ナニモノにも歪められず、正しきコトに邁進できる、ような、そんな政治家って、この世にドレほどいるのだろう。申し訳ないが、政治を、単に生活の糧(カテ)にしているに過ぎない「政治屋」が、幅を利かせているように思えてならない。
「政党助成金は血税。スナックでの呑み食い代も血税で、など、到底、納得できないし、企業団体献金にしても、その企業にとって有利に、政治家、政治屋が、動いているとしか思えず、到底、納得なんてできない。って、どうしても思ってしまうわけよ」
ん~、ん!?
考えてみると、政党助成金も企業団体献金も、個人の意思が全く反映されていないような気がする。ひょっとすると、だから、民主主義国家だと自負する国のほとんどが、企業団体献金を禁止しているのかもしれない。
「常識として、普通、個人献金ですよね。あくまでも個人。個人の意思で、考えで、政治家の、政党の、その方針に、考えに、賛同し、献金する。せめて、コレでないと、私はダメだと思います」
「その通りだ。どのコミュニティに、組織に、企業に、属していても、考えは、皆、一人ひとり違うからな」
誰を応援するか、しないか。
誰に献金するか、しないか。
私自身がドウするかの、その全ての決定権は、組織でも企業でも、場合によっては国家でもなく、私たち一人ひとりだということ。つまり、企業団体献金は、単に、不正に繋がり易いというだけでなく、そうした一人ひとりを、一人ひとりの意思を、考えを、思想を、価値観を、軽んじるモノであるからこそ、多くの民主主義国家は、ソレを、禁じているのだろう。きっと、そうに違いない。(つづく)