はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と二十三
「テイネイニ!」
「学校の先生稼業の後半は、肢体不自由の子どもたちが籍を置く支援学校、養護学校ね、で、あったということもあると思うのだけれど、やっぱり、教育の基本は『丁寧に』だと思う」
丁寧に?
「アレコレ小難しいコトを宣いたがるおエライ先生方は数多くおられるが、この『丁寧に』を軽んじて、欠いて、教育の現場は、教育は、まず、成り立たない」
丁寧に、か~。
それ、なんとなく、わかるような気がする。
「そして行政は、現場の先生たちがその『丁寧に』を実践していき易くするためのサポートを、アシストを、全力を挙げて行う」
行政によるサポート。アシスト。
以前からAくんは、教育の現場と行政との理想的な関係性のためには「サポートに、アシストに、徹せよ」が不可欠だと宣い続けている。おそらく、それほど行政は、的外れなアプローチを仕掛けてきがちだということなのだろう。そして、その的外れなアプローチが、今、社会問題にもなりつつある「学校の先生の成り手不足」の要因の、その一翼を担っているに違いない。そんな気がする。
「そうした真っ当なサポート、アシスト、を、受けて、学校は、緩やかな、ユルリとした時間の流れの中で、ユッタリと、子どもたちと向き合いながら、かかわり合いながら、焦らず、慌てず、その『丁寧に』を中心に据えた教育を実践できるわけ。言い換えるなら、タイパだ~コスパだ~とヤタラとスピーディーに結果を出すコトばかりに執着しているような学校では、『丁寧に』などあり得ないということだ」
「でも、残念ながら現実は、全くもって『緩やかな』でも『ユルリと』でもない、と」
「悲しいかな、まさにその通り。もちろん、そんな中でも心ある先生たちは頑張っているわけだが」
「でも、間違いなく摩り減ってしまいますよね。そして、疲れ果てる」
「そう、確実に摩り減る、疲れ果てる。更には、酷使され続けてきた消耗品かナニかのように身も心もボロボロになって、忽然と、一線から姿を消す」
ふ~。
最悪だ。
(つづく)