はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と二十二
「ユルストイウコト ハ ツヨサ ノ アカシダ」
「弱いものほど、相手を許すことができない」
ん?
「許すことは強さの証だ」
ん、ん~。
「誰かの言葉、名言ですか」
ある時間帯になると、Aくん、ヤタラと誰かの名言を披露し始めるから。
「かの、マハトマ・ガンディーの言葉らしい」
「ガ、ガンディー、ガンジーの、言葉、ですか」
「らしいぜ。ご近所のあるお寺の掲示板に、そう書かれていたから」
なんと、Aくん、「時と場合によっては『大目に見る』という選択肢もまた良し」の正当性を示すために、あの、ガンジーまで登場させてくるとは。恐るべし、Aくん。
「許すことは強さの証。なんか沁みるよな」
いい言葉だとは思う。ガンジーの底知れぬ強さのようなモノも感じる。だけど。
「ですが」
「ん?」
「ガンジーが言うところの『弱いもの』は、私が思うところの『弱者』のことではなくて、むしろ、ドチラかというと、『心貧しきもの』に近いような気がします」
「心貧しきもの、ね~。あっ、そういえば、『弱いもの』、The weak(ザ・ウィーク)には、『雑魚(ザコ)』というかなりnegative (ネガティブ)な意味もあったんじゃねえかな」
ザ、ザコ、雑魚、か~。
雑魚ほど、相手を許すことができない。許すということは雑魚でないことの証。
能登でいただいた雑魚たちは殊(コト)の外美味しくて、安価で、実に感動的であっただけに、そんなお魚の雑魚たちにはタイヘン申し訳ない気持ちでイッパイなのだけれど、たしかにコレだとシックリくる。そして、多分、コッチのこの厄介な雑魚たちは、相手、より、自分。
そう、相手のコトなんかよりも自分、なのだ。
「雑魚たちは、ガンジーの言葉の意味を、本質を、理解しようなんて微塵も思わなくて、『大したコトではないだろ。許せよ。大目に見ろよ』と、ただ己の保身のために利用する、だけのような気がします」
「ガンディーの言葉を利用、ね~。ん~・・・、かも、かもしれねえな。相手を許せる心は美しく尊いが、相手に自分を許せと無理強いする、しかも、ガンディーの言葉さえも利用しようとする、その心は、ちっとも美しくも尊くもない」
そう、美しくも尊くもない。
たとえば、そんな雑魚たちが、大した反省もせず、己の保身だけのために『弱いものほど、相手を許すことができない。許すということは強さの証だ』などとエラそうに宣い出したとしたら、まず、コレだけは言える。
絶対に、あの時、能登でいただいたような、「いい」、「美味しい」、雑魚ではない。(つづく)