はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と六
「イカリ!」
こうなると、貪瞋痴(トンジンチ)のセンターを務める「瞋(ジン)」も、この際、とことんハッキリさせたくなってくる。
「瞋、怒り。お釈迦さんに喧嘩を売るつもりなど毛頭ありませんが、『怒り』を、諸手を挙げて『毒』と決め付けてしまうのには、少し抵抗があります」
「怒り、ね~」
そうボソボソと呟くと、Aくん、またまた沈黙の扉を開けてしまう。
置いてけぼりを食らってしまった私は、むしろ「チャンス」と居直って、目の前の、もう一つのトリオのそのセンターを務めるエスニック風ピリ辛コンニャクを、再び、口の中に放り込む。
やっぱり辛い。
でも、美味い。
ソコに、あの、『子連れ狼』のようなネーミングの滋賀の山廃を流し込む。
そして、その、ナンともゴキゲンなマリアージュの余韻に浸っていると、Aくん、思いの外、早く、・・・。
「おそらく」
ん!?
想定外のその帰還の早さに、さすがに、少し、驚いてしまう。
「お釈迦さんは、僕たちの心を、魂を、掻き乱すモノとして、そのトリオを挙げているのだと思う」
怒りが魂を掻き乱す、か。
わからなくはない。わからなくはないけれど、「痴」と同じようにナニかが引っ掛かる。
「でも、仮に魂が掻き乱されたとしても、真っ当な『怒り』というものもまた、あるのではないですか?」
「真っ当な、怒り?」
「で、ないと、ヤヤもすると、人は、怒りを抑えるための自己防衛本能として、処世術として、『無関心』という道を選んでしまうのではないか、って」
「思うわけだ、君は」
「無関心でいれば腹を立てることも」
「なくなる、か。・・・あ、あっ、そういえば」
ん?
「少しズレるかもしれないが。支援学校、養護学校ね、に、勤めていたときに、地元の中学校との交流会みたいな取り組みがあったわけ。その時、ナゼか、一部の生徒以外は、ほぼ、我々のコトを無視」
んん?
「担当の先生に何気に聞いてみると、変に関わって叱られるぐらいなら無視していた方がいい、と」
「いう、自己防衛本能としての、処世術としての、道を、邪道を、交流相手校の子どもたちが選んだ、ってことですか」
「かもしれないな、って話。君の話を聞いていて、今、突然、思い出した」
んんん~。
コトなかれ主義の、無視、無関心、が、もたらす、闇、悲劇、か。ますます捨て置けない気がしてくる。
「その話を聞いて、更に、真っ当な怒りの必要性を感じました」
「たしかに、君の指摘のように、我々から真っ当な怒りがなくなってしまったとしたら、もう、ナニも、好転しなくなってしまうかもしれないな」
お釈迦さんの賛同を得れるかドウかは私にはわからないが。トンでもなく身勝手で理不尽な怒りはいただけないけれど、トンでもなく身勝手で理不尽なモノに対する真っ当な怒りは、世の中を好転させていくためにも絶対に必要だと思う。(つづく)