ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1274

はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と五

「ムチノチ!」

 お釈迦さんによる時間も次元も超えた警鐘とも言える貪瞋痴(トンジンチ)なのだけれど、その〆(シメ)の「痴」が、ナゼか妙に引っ掛かる。

 痴とは、無知とは、いったい。

 「そもそも、無知って、ナンなのですか」

 と、ココは、気持ち良すぎるぐらい思いっ切り直球で。

 すると。

 「無知の知を、丸っきり、微塵も理解できないコトだ」

 と、ソレ以上の気持ち良さで、思いっ切り真芯で打ち返される。

 「む、無知の知を、ですか」

 「そう、無知の、知を。だ。ソクラテスだったか、古代ギリシャの哲学者の言葉であったと思う」

 「ソ、ソクラテス、ですか」

 「自信はないけど、ま、ソクラテスぐらいしか知らないし、そういうことにしておこう」

 結構、いい加減な、Aくん。

 「たとえば、都合のいい学説や評論にだけ耳を傾け、歴史を捻じ曲げ、差別的な、非人道的な、言動に、明け暮れているような政治家たちは、まず、このソクラテスの言葉『無知の知』を理解できない」

 無知の知を理解できない、か~。

 ん、ん~。その、無知の知、とは、いったい。

 「つまり、つまりだ。己の無知を知ることができない、気付けない。もしくは、知ろうともしない、気付こうともしない。ような、そんな人間に、真理を追求することなんて絶対にできっこないということだ」

 あ、あ~。だから、あの人たちは、いつだって、ヤタラとエラそうにしがちなんだ。(つづく)