はしご酒(Aくんのアトリエ) その七百と五
「ムチノチ!」
お釈迦さんによる時間も次元も超えた警鐘とも言える貪瞋痴(トンジンチ)なのだけれど、その〆(シメ)の「痴」が、ナゼか妙に引っ掛かる。
痴とは、無知とは、いったい。
「そもそも、無知って、ナンなのですか」
と、ココは、気持ち良すぎるぐらい思いっ切り直球で。
すると。
と、ソレ以上の気持ち良さで、思いっ切り真芯で打ち返される。
「む、無知の知を、ですか」
「そう、無知の、知を。だ。ソクラテスだったか、古代ギリシャの哲学者の言葉であったと思う」
「ソ、ソクラテス、ですか」
「自信はないけど、ま、ソクラテスぐらいしか知らないし、そういうことにしておこう」
結構、いい加減な、Aくん。
「たとえば、都合のいい学説や評論にだけ耳を傾け、歴史を捻じ曲げ、差別的な、非人道的な、言動に、明け暮れているような政治家たちは、まず、このソクラテスの言葉『無知の知』を理解できない」
無知の知を理解できない、か~。
ん、ん~。その、無知の知、とは、いったい。
「つまり、つまりだ。己の無知を知ることができない、気付けない。もしくは、知ろうともしない、気付こうともしない。ような、そんな人間に、真理を追求することなんて絶対にできっこないということだ」
あ、あ~。だから、あの人たちは、いつだって、ヤタラとエラそうにしがちなんだ。(つづく)