はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と九十五
「ガムシャラータチ ノ クヤシナミダ」
「コレって、全然いいコトだとは思わないんだけど」
ん?
「悔し涙、流さなくなったよな~」
く、悔し涙?
「いや、流せなくなった、か」
流せなくなった?
ん~。
そう言われると、たしかに、悔し涙なんて、久しく流していない。
「ソコまで我武者羅(ガムシャラ)に、己の仕事に打ち込めない、どころか、打ち込むコトに価値を見出だせない」
ゆえに、流せなくなった、と、いうことか。なるほど、それ、一理あるかもしれない。
「仕事に限らず、とにかく、悔し涙を流せるぐらいナニかに打ち込む、打ち込める、って、ホント、羨ましく、素晴らしいコトだよな」
ん~。
損得抜きで、理屈抜きにナニかに打ち込める自分でありたいけれど、如何せん、どうしても、打ち込む前に「どうせ無駄に終わるに違いない」と思ってしまう。つまり、無意識の内に、早々に、我武者羅に打ち込むそのコトをコスパもタイパも悪いコトだと結論付けてしまっているのだろう。
「にもかかわらず、そんなガムシャラーたちの悔し涙さえもバッシングの対象になってしまうんだから、もう、世も末って感じだよな」
悔し涙にさえも、バッシング、か~。
あっ、あ~、あのコト、かも。
我武者羅に打ち込んできたからこその悔し涙を、我武者羅に打ち込まない、打ち込めない、コスパーやらタイパーやらが上から目線でエラそうにバッシングするという構図は、たしかに、ドコからドウ考えても真面(マトモ)ではない。
「もちろん、感情を表に出さず心の内で静かに自戒する、みたいなトコロに美学を感じる、美学を見出だす、ってのも、わからないわけじゃない。わからないわけじゃないけれど、だからといって、感情を表に出すコト、爆発させるコト、イコール、悪いコト、とは、全くもって思わない」
人としてあまりにも下劣な感情の爆発は問題外だが、私も、イコール悪いコトとは思わない。
「あるコメンテーターが、柔道家として、武道家としてドウなんだ、みたいなコトを宣っていたらしいのだけれど、口先だけのコメント野郎の貴方自身はドウなんだ、と、代わりに言い返してやりたいよ」
間違いない、あのコトだ。
感情を表に出す、爆発させるコト、イコール、悪いコト、情けないコト。からの、たとえば、武道、イコール、感情を表に出さない、堪(コラ)える。なのだろう。
だけど、むしろ、感情を抑えクールでなければならないのは私たちの方なのではないか。多くのコトを犠牲にして我武者羅に頑張ってきたガムシャラーたちの悔し涙を、感情の爆発を、クールに、それでいて優しく、温かく、受け止め、包み込めるような、そんな私たちであることが、まず、ナニよりも大事なコトのように思えてならない。(つづく)