ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1247

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と七十八

「コウアルベキ ノ コウ ト セイサンセイノナイ ワカモノ ト」

 非常に穿(ウガ)った見方かもしれないが、と、一応、儀礼的に前置きした上で、Aくん、吐き捨てるように、「と、なると、『こうあるべきってナンや』の『こう』は、『普通に』とか『常識的に』とかどころではなくて、お国のために、文句一つ言わず、戦える、犠牲になれる、そんな『こう』であれ、ということになるか」、と。

 国のために戦える?

 国のためなら犠牲にだってなれる?

 「従順で、協調性があって、真面目で、優秀で、テキパキと、戦場で力を発揮できる若者たれ。とは、いったい、ナニ時代の話だよ、と、おもわず突っ込みを入れてみたくさえなるよな」

 メチャクチャ、入れたくなる。

 「しかも、少子化問題まで安全保障に繋げてしまうんだから、ホント、恐れ入るよ」

 産めよ、殖(フ)やせよ、国のため。

 現代においても、あの人たちの頭の中には、まだ、あの当時のこの富国強兵的なモノの考え方が色濃く根強く棲息し、そしてダークにグチュグチュと蠢(ウゴメ)いているということか。

 「己の価値観で、考えで、ペースで、ユルリユルリと我が道をゆく、なんて若者は国賊。と、いうわけだ」

 こ、国賊、とは。

 実にトンでもなく恐ろしい発想、思想、モノの考え方だが、先ほどの女性議員の発言の真意も、おそらく、その辺りにあるのだろう。

 つまり、戦場で戦えないような若者は、あの人たちが好む得意のワードで言い表すとするなら、まさに「生産性がない若者」。そう、生産性がない若者なのだ。

 ふ~。

 そもそも、個人を、その尊厳を、軽んじた、蔑(ナイガシ)ろにした、生産性がある、とか、ないとか、って、いったい、ナンなのだ。(つづく)