はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と七十六
「コウアルベキッテ ナンヤ!」
そういえば、あの、ナニがナンでもドコまでも大阪弁のO くんが、時折、「こうあるべきって、なんや!」と息巻いていたことを、ふと、思い出す。
こうあるべきってナンや。
その、こうあるべきの、こう、って、いったい、ナンなのだろう。
「こうあるべきの『こう』ってナンだと思いますか」、と私。
「こうあるべき、の、こう、ね~。微妙にニュアンスは違うけれど、そんな感じのコトを、中学生ぐらいまで、父親に、言われ続けていたような気がする」、とAくん。
Aくんのお父さんが言い続けておられた、こうあるべき、とは。
「ソレは、いわゆる躾(シツケ)的な、こう、こうあるべき、ですか」
「躾?。どうだろう。ドチラかというと身(ミヘン)に美(ウツクシイ)ではなくて、普、普通の、普」
身に、普通の普、か~。
「せめて、人様に、恥ずかしくないような、迷惑をかけないような、そんな普通の人生を、みたいな、そんな感じだったのだと思う」
ん~。
はたして、人様に迷惑をかけないような、は、普通の人生、と、イコールなのだろうか。
「なんだか釈然としませんね」
「こうあるべきの『こう』が『真っ当な正義』であるなら、ま、100歩譲って、理解できないわけではないけれど、ソレが、『普通』、あるいは『常識』、と、なると、じゃ、普通ってナンだよ、常識ってナンだよ、ってことに、なるわな」
なる。
「ソレって、学校が、学校教育が、抱える、最大級の弱点のようにも思えるし」
「学校教育が抱える最大級の弱点、ですか」
「そう。たとえば、いい意味で破天荒な子どもが、どうしても誕生しにくい、育ちにくい、土壌が、学校にはある」
いい意味で破天荒な子どもが、誕生しにくい、育ちにくい、土壌、か~。
そう言われると、たしかに、学校という社会の中では、従順とか、協調性とか、真面目とか、優秀とか、あるいはテキパキとか、が、圧倒的に社会的地位を獲得しているような気はする。
「レギュラーがイレギュラーより優位なんてことが、当たり前のように罷り通っているから、破天荒でユニークで、実に面白い子どもが、更に一層破天荒に、ユニークに、面白く、弾けられないということだ」
ん~。
もしそうなら、最悪、最悪かもしれない。
例のあの、朝ドラ系名セリフ、名言、シリーズ。と、いうわけではないけれど、今宵、何度も登場する、あのおばあちゃんのあの『変わりもんは変わりもんで、堂々と生きたらよか~』。の、その真逆に、今、学校は、ある。ということだろうか。
「狭い教室に詰め込まれているせいもあって、どうしても、集団教育的印象が強いこの国の学校教育だが、けっして、ワンカラーを目指す全体主義教育ではない。というか、そんなモノであっていいはずがない。あくまでも、個人。個人が大切。個性豊かな一人ひとりが、たまたま一つの教室にいるにすぎない。そのコトだけは、絶対に、忘れてはいけないと僕は思っている」
なるほど、なるほど。
そんな「こう」ではない、普通ではない、イレギュラーの、ナニが、ドコが、悪い。
イレギュラーだからこその、人生の醍醐味。
イレギュラー、万歳!
(つづく)