ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1244

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と七十五

「セイロン ハ ソノ ジュンド ガ タカケレバタカイホド」

 「正論は、その純度が高ければ高いほど威力を発揮する」

 おっ。

 「某国民営放送局の朝ドラでの、ある登場人物のセリフだ」

 ほ~。

 「正論も結構だが、世の中、そんなキレイゴトだけでは回らないんだよ。的な、そんな風潮、とくにこの頃、ありまくりまくってますから。その言葉、結構、響きますね」

 「響くよな~。余程、純度も精度も上げないと、冷笑系やら侮辱系やら長いモノには巻かれろ系やらを納得させることなんて、まず、できねえだろうから」

 う~ん。

 おっしゃる通り、容易くはなさそうだ。

 「たとえば安全保障。平和憲法を守ろう、と、唱えた途端、攻めてこられたらどうするんだ、無抵抗のまま、ただヤられるのを待つのか、家族を、最愛の人を、殺されても平気なのか君は、などと、ワワワワワ~ッと反撃を喰らう」

 う~ん。

 たしかに、いつだってそんな感じだ。

 「あるいは原発。安全性が担保されていない原発と決別しよう、と、訴えた途端、じゃ、電気使うなよな、電気代上がりますけど、安定供給できませんけど、などなどと、安全保障の時と同じように怒濤の反撃を喰らってしまう」

 そういえば、あるベテラン女優が、原発再稼働に異議を唱えた際も、映画をつくるにも電気は必要ですけど、もう、映画なんてつくれませんよね、つくるのやめてくださいね、みたいな、そんな感じだった。この手の実に厄介な反撃を迎え撃つには、たしかに、正論の純度も精度もトコトン上げなければならない。

 「だからこそ、『正論はその純度が高ければ高いほど威力を発揮する』というこのセリフが意味をもってくる。もちろん、そのハードル、目一杯、高そうだ。高そうではあるけれど、正論が、曲論やら邪論やらに屈してしまうわけにはいかない。そのためにも、正論の復権、大いに期待したいし、僕なりにソレなりに応援もしていきたい、と、あらためて、思ったりするわけよ」

(つづく)