ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1243

はしご酒(Aくんのアトリエ) その六百と七十四

「ボク イチャモン」

 「ドコからドウ見ても悪いコトをしている甲に」

 ん?

 「対して、勇気を出して、追求していこうとする乙を」

 んん?

 「周囲が、ヤレ、怖いと、ヤレ、批判ばかりだと、ヤレ、ウンザリだと」

 ん~。

 「条件反射のようにイチャモンをつけてしまうのは、いったい、ナゼなんだろう」

 ん、ん~。

 たとえば、たとえばである。

 その乙に纏わり付くほとんどドウでもいいようなコトまで、ワザワザ、ピックアップして、イチャモンのためのイチャモンをつけることに全身全霊を傾ける。その珍妙で屈折したイチャモンたちのメカニズム、たしかに、ナゾめいてはいる。

 「ピグモンくまモンドラえもん、ならぬ、ぼく、イチャモン。そのイチャモン自身、ソレがイチャモンだとは微塵も思っていないでしょうから」

 「そう、そういう無自覚なイチャモンが、一番、厄介なわけだ」

 無自覚なイチャモン、か~。

 おっしゃる通り、かなり厄介そうだ。

 「おそらく、乙が嫌い。乙では困る。甲が好き。甲でないと困る。と、いうことなんだろうけれど、『正しい、正しくない』のその前に、『好き、嫌い』やら『困る』やらがデ~ンと腰を下ろしているんだからな」

 好き嫌いやら困るやらがデ~ンと、か~。

 けれど、その「好き嫌い」やら「困る」の基準が真っ当であるなら、まだ、救いはある。正しいから好き。正しくないから嫌い、困る。で、あれば、好き嫌いも困るまた良し、と、言えなくもない。

 しかし、しかしである。

 その基準が、ダークなモノに、圧力に、情に、打算に、損得に、染まっているとしたら、歪められてしまういるとしたら、ソレは、やはり、かなり厄介と言わざるを得ない。

 世の「ぼく、イチャモン」たちよ。 

 いま一度、頭も心も冷やして、クールに、己自身に問うてみるといい。

 「僕は、私は、本当に、ナニモノにも染まっていない、歪められていない、正真正銘、真っ当な、『ぼく、イチャモン』なのか」、と。

(つづく)