はしご酒(Aくんのアトリエ) その五百と十七
「コクエキ ナクシテ ジンケン ナシ」
「国益なくして人権なし!」
「えっ」
ど、どうしたのだ、Aくん。
「国益を損なう恐れさえある人権ってヤツほど、厄介なモノはない、ということだ」
く、狂ったのか、Aくん。
「ま、待ってくださいよ。民主主義とは、むしろ、人権なくして国益なし!。では、ないのですか」
「とくに、弱き者たちの人権ごとき、に、よって、この国が振り回されることなど絶対にあり得ない」
酔いのせいもあろうかと思うが、やっぱり、狂ったか、Aくん。
するとAくん、想いっ切り面舵(オモカジ)いっぱい、踵(キビス)を返す。
「と、宣ったりするわけよ。圧倒的な権力を握る強者(キョウシャ)たち、ってのは」
あ、あ~。
一気に、ホッとする。
「先ほどの、働かせる側と働く側との関係性と同じで、その両者の力関係が対等であるなら、まだ、ギリギリセーフかな、とは思うけれど。どう考えても、いつだって、軽んじられがちなのは、国益ではなく、弱き立場の人権の方だろ、違うかい」
違わない。
「君が言うように、人権なくして国益なし。と、思うぐらいで丁度いいのかもな」
ふ~。
Aくんにはホッとしたけれど、「国益なくして人権なし」という言葉は、そのままズシンと心の奥底にメリ込んだままで、全然ホッとなんてできない。
圧倒的な権力を握る強者(キョウシャ)は、権力者は、ヤタラと「国益のため」と宣いつつ、あの人たちにとって好ましくない、不都合な、そんな弱き立場の人権を、いとも簡単に、ほとんど躊躇することもなく、フッと吹き飛ばしてしまいそうで、恐ろしくなる。
「そもそも、その、国益ってヤツそのものが、怪しんだよな~」
ん~。
たしかに、あの人たちが宣う「国益」とは、いったい、ナンなのだろう。弱きピーポーたちを犠牲にした国益など、絶対に、あり得るはずがないのである。(つづく)