ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.1016

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と四十七

「セツメイ ト イイワケ ト イイノガレ ト」

 このところ、その意味がよくわからないワードが、巷を賑わしている。

 その一つが、説明。

 説明、説明、説明させていただく、説明責任を果たさせていただかねばなるまい、などと、ヤタラと公言される権力者たち。にもかかわらず、その説明とやらをキチンと聞かせてもらったという記憶は、ほとんどない。

 ナゼか。

 そもそも、権力者たちが考える「説明」とは、いったいナンなのだろう。ひょっとしたら、私たちが思うモノとは全くもって違うモノなのかもしれない。

 説明。

 説明、とは。

 たとえば、とても良いコトであるのに、残念ながらその良さが伝わらない、わかってもらえない。だから、その良さを、どうにかしてわかってもらうために、時間をかけて、懇切丁寧に、具体的に、説明しまくる。説明したおす。

 そんな感じが、私が抱いている「説明」のイメージである。

 ところが、権力者たちが用いる「説明」は、むしろ、「言い訳」に近い。

 たとえば、致命的にもなり得る問題点もあるにはあるが、大人の事情でコレでいかなきゃならない。もちろん、そう簡単には理解などしてくれそうにない。この際、マイナス面には蓋(フタ)をして、イイところばかりを膨らまし、今、今こそ、コレが必要なんだ、大切なんだ、と、繰り返し、言って言って言いまくる。言いたおす。

 まさに、ドコまでも、トンでもなく「言い訳」。場合によっては「言い逃れ」の臭いさえも漂う。

 そんな「権力者と説明」噺のアレやらコレやらを、ブツブツブツブツと独り言ちていると、Aくん、あたかもテープカットかナニかのように、気持ち良すぎるぐらい強引に、ブツッと、ソコに終止符を打つ。

 「丁寧に、も、真摯に、も、聞く、も、受け止める、も、説明させていただく、も、全て、そう見えるように、ってコトなんだろ。隠蔽してでも、嘘をついてでも、とにかく、そう見えさえすれば、説明させていただいているように見えさえすれば、騙(ダマ)せる、乗り切れる、逃げ切れる。そう、ホンにマサしく『言い逃れ』。言い逃れれば勝ち、とでも、思っているんだろうな、きっと」

(つづく)