はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と百と九
「セイカツアタマ」
「アタマがいいとか悪いとか」
ん?
「昔からズッと言われ続けられたりしているが」
んん?
「そもそも、アタマがいいのそのアタマってナンなんだ、って話だよな」
んんん?
「アタマがいいと言われれば嬉しくなり、言われなかったらガッカリし、言われなさすぎると悲しくもなるし辛くもなる」
あ~。
「そんな感じにイロイロと副作用を生み落としてくれたりもしているけれど、もうそろそろ、学校のテストの点数が、とか、成績が、とか、学歴が、とか、が、そのままアタマの良さには繋がらないんだということに、気付いてもいいよな~。ほら、シモジモじゃないエライ、らしい、あの方々を見るにつけ、そんな気がしてきてならないわけよ」
そもそも、その「アタマがいい」という言い方自体、アタマがいいとは思えない。
ん?
あっ。
「そういえば、随分と昔のことですが、たしか、若いお坊さんだったか、その人に、『生活アタマ』が大事。と、言われたことを思い出しました」
「セイカツアタマ?」
「難しく言うと『生きる力』ということになるのかもしれませんが、なんとなく微妙に違うように思えて」
「そうだな。生活アタマなだけに、もっと、ナニ気ない日々のリアルな生活に直結したモノのような気がする」
「生きる力、というより、むしろ、生きている力、に、近いかもしれません」
「生きている、力?」
「力そのものが生きている、というイメージです」
「力、そのものが生きている?」
「ヤヤもすると学力って、学力のための学力、成績のための学力、受験のための学力、みたいな、そんな感じになりがちでしょ」
「わかる、わかるよ、その感じ。学力というわりには、ナンの力にもなってねえじゃねえか。って思うこと、あるもんな~」
「そうなんです、『力』なんです。生々しく生きている生命をもった『力』でなければ『力』ではないのです」
語れば語るほど、私自身、ナニを言っているのかワケがわからなくなりつつあるものの、ワケがわからないなりに、なんとなく、この年になってようやく気付かされたような気がする「めざせ、生活アタマ!」。随分と昔に聞かされていたのに、その意味がわからず放っておいてしまったばかりに出足で躓(ツマズ)いて、メチャクチャ出遅れてはしまったけれど、出遅れついでに地道にコツコツと、そのアタマ、めざしてみようか。(つづく)