ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.949

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と八十

「スクワレテイル ヒトモ イル」

 「たとえば霊感商法的な怪しげな臭い漂う邪宗であったとしても、その教えを純粋に心から信じることで、魂が、救われている人たちがいるのです」

 唐突に、あたかも新興宗教の勧誘ピーポーのごとくのテイストで、静かに語り始めたAくん。全身から「信じる者こそ救われる~」感が迸(ホトバシ)っている。

 「なんであれ、救われているんだからいいじゃないか。って、思いがちだし、思われがちだろ」

 「う~ん・・・、私も、当人が、そう思っているならソレでいいじゃないか、って、思ってしまうかもしれない」

 「そう、マジでそうなりがちなんだよな」

 そうなりがち、か~。

 霊感商法が成り立つ理由は、霊感商法が消え去らない理由は、まさにソコにあるような気がしてくる。

 「でもね、ソレだと、救われていると思わそうとしている側の思う壺だろ」

 「救われていると思わそうとしている、ですか」

 「救う、と、救われていると思わせる、とは、全く違う、ということだ。そもそも、宗教は、そんな簡単に、安易に、あなたを救います、などとは言わない。にもかかわらず、サラリとそう言ってのけてしまうモノを、僕は、『あなたを救います商法』と呼んでいる。『救います』が商品化されている、というイメージだな。こうすれば、ああすれば、コレを買えば、お金を寄進すれば、間違いなくあなたは救われるのです~、みたいな、そんな感じだ。申し訳ないが、宗教は、哲学であり、学びの場であり、気付きの場。それゆえ、そういう発想そのものがあり得ない」

 あなたを救います商法、か~。

 たしかに、霊感商法と言われるよりも、ウンとわかりやすい気はする。

 ナニがナンでも、ドンな手を使ってでも、救われていると思わせる「あなたを救います商法」。その闇も、罪も、トンでもなく深そうだ。(つづく)