はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と八十
「スクワレテイル ヒトモ イル」
「たとえば霊感商法的な怪しげな臭い漂う邪宗であったとしても、その教えを純粋に心から信じることで、魂が、救われている人たちがいるのです」
唐突に、あたかも新興宗教の勧誘ピーポーのごとくのテイストで、静かに語り始めたAくん。全身から「信じる者こそ救われる~」感が迸(ホトバシ)っている。
「なんであれ、救われているんだからいいじゃないか。って、思いがちだし、思われがちだろ」
「う~ん・・・、私も、当人が、そう思っているならソレでいいじゃないか、って、思ってしまうかもしれない」
「そう、マジでそうなりがちなんだよな」
そうなりがち、か~。
霊感商法が成り立つ理由は、霊感商法が消え去らない理由は、まさにソコにあるような気がしてくる。
「でもね、ソレだと、救われていると思わそうとしている側の思う壺だろ」
「救われていると思わそうとしている、ですか」
「救う、と、救われていると思わせる、とは、全く違う、ということだ。そもそも、宗教は、そんな簡単に、安易に、あなたを救います、などとは言わない。にもかかわらず、サラリとそう言ってのけてしまうモノを、僕は、『あなたを救います商法』と呼んでいる。『救います』が商品化されている、というイメージだな。こうすれば、ああすれば、コレを買えば、お金を寄進すれば、間違いなくあなたは救われるのです~、みたいな、そんな感じだ。申し訳ないが、宗教は、哲学であり、学びの場であり、気付きの場。それゆえ、そういう発想そのものがあり得ない」
あなたを救います商法、か~。
たしかに、霊感商法と言われるよりも、ウンとわかりやすい気はする。
ナニがナンでも、ドンな手を使ってでも、救われていると思わせる「あなたを救います商法」。その闇も、罪も、トンでもなく深そうだ。(つづく)