ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.926

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と五十七

「ジブンガ ジブンデ ナクナル」

 本意ではないが、致し方なく、そういう自分にならざるを得ない、ということも、ひょっとしたらあるのかもしれない、と、ほんの少し角度を変えて、徐(オモムロ)に語り始めたAくん。

 おそらく、マインドコントロールからのAくん独特の展開なのだろうけれど、残念ながら、俄(ニワカ)には、その言葉の真意を理解できないまま、とりあえず、とにかく聞くことに専念しようとする、私。

 「仕事がなくなる」

 えっ?

 「生活が儘(ママ)ならなくなる」

 ん?

 「自分が自分らしいままでは、生きていけない」

 ん~。

 「先ほどのマインドコントロールとは、そのテイストは随分と違うけれど、自分が自分でなくなる、というその一点だけを見れば、似てなくもない。とは、思わないかい」

 ・・・。

 「つまり、『社会』という名のモンスターに、マインドコントロールされてしまうということもまた、あり得るかもしれない、ということだ」

 社会?、モンスター?、マインドコントロール

 いつもながらのヤヤこしい言い回しに翻弄されつつ、私なりに、脳内コンピューターをフル稼働して食らい付こうとはするものの、なかなかどうして、その靄(モヤ)を、払い除けることができない。

 「仮に、社会人になる、ということが、自分を自分でなくす、ということであるなら、コレほどの悲劇はないかもしれないよな」

 社会人になることが、自分を自分でなくすということ、か~。

 「学校の先生なら、担任を任された時点で一国一城の主みたいなものだろう、と、勝手にそんなことを思いつつ、その道を選んだわけだけれど、もちろん、そうは問屋は卸してくれない。とはいえ、他の職業に比べれば、まだまだ自分らしさを維持しやすいと感じることもまた事実。少なくとも、僕にとっては、そう納得できる職業であったと、今でも思っている」

 学校の先生・・・。

 あらためて、Aくんの口からそういったことを聞かされると、たしかに、いわゆる会社員などとは、ナニもカも、かなり違うような気はする。

 「悲しいことだが、晩年は、ナニかにつけてジワリジワリと不気味な圧力を感じるようになってきてはいたけれど」

 自分を自分でなくしてでも社会というモンスターの中で生きていく。それが、それこそが社会人だとすると、テレビなどでよく目にするコメンテーターあたりが、時流に、ニーズに、権力に、上手い具合に合わせていくこともまた、生活の糧(カテ)として致し方なし、ということになるのかもしれない。

 もちろん、影響力の大きさから、その罪の深さは、言うまでもないが、トンでもなく、深い。(つづく)