はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と五十六
「ジコセキニン! ジコセキニン?」
数十年前、巷で話題になり、一気に知れ渡った、未だに忘れられないオドロオドロしいワード。そのワードが、再び、漆黒の闇の向こうから地を這うようにニジニジと、ニジニジと~復活しつつ~ある~、と、あたかも真夏の怪談話のように語り始めたAくん。室内の明かりを、怪しく揺らめく蝋燭(ロウソク)の灯(アカ)りに切り替えてみたくなるほどである。
「それは、そ~れ~は~、マインド、マ~インド~コントロ~ル~」
あ、あ~。
「たしか、あの頃、賑わしていましたよね~、巷を、思いっ切り」
「最初は、みんな、そんなバカなことなどあるわけないだろう、と、マインドコントロールなるものに対して懐疑的、どころか、否定的だった。のだけれど、ヘ~、そんな人が、エッ、そんな人も、ゲッ、そんな人まで、などと驚いたりしているうちに、コレは、『自己責任』などという言葉では済ませられないほどの深い闇を抱えているな、と、こんな僕でもなんとなく、思ったりしたことを覚えている」
マインドコントロール。
マ~インド~コントロ~ル~。
自分が自分でなくなる、悲劇。
そういえば、あるコメンテーターが、巧みなマインドコントロールによって自分が自分でなくなってしまったピーポーたちに対して、頭ごなしに「自己責任だろ」と宣っていた。
善良な市民の仮面を被った加害者に、知らないうちに、気付かないうちに痛めつけられ、追い詰められた被害者への言葉とは、到底、思えない。
彼は、ナゼ、いとも簡単に、「自己責任」と宣ったのだろう。
彼は、ナゼ、いとも簡単に、「自己責任」と宣うことができたのだろう。
ココにも、また、全く違う別種の臭いの闇が、あるような気がしてならない。
(つづく)