ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.923

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と五十四

「マナビノバ! マナビノバ?」

 「やっぱりさ~、しつこいぐらい何度も言わせてもらうけれど、『学びの場』でなければならない、って、思うんだよな~」、とAくん。

 おそらく、その、某国民営放送へのAくんなりの熱き思い、なのだろう。

 「他のテレビ局では、どうしても難しいだろ。スポンサーあっての民放、金は出しても口出さぬ、とは、いかないだろうから」

 「いかないでしょうね」

 それゆえ、大衆に媚びる。残念ながら、ソレは、致し方ないコトのようにも思える。想像以上に『視聴率』は、民放に重くのし掛かる足枷(カセ)となっているようだ。

 「政府の方針も、権力者たちの意向も、世の中の大きな流れも、民意も、当然のことながら、間違っている場合は間違っているわけだろ。その間違いを、影響力も責任もある誰かが正さなければ、この国は、必ずや、悪しき方向に突き進んでしまう」

 なるほど、だからこその、学びの場、か~。

 「ところが、ところがだ。ヤヤもすると学びの場は、アッと言うまにスルリと、『学べない』に成り下がる」

 ん?

 「真実を、正しきことを、求めようとしない、求められない場を、学びの場とは言えないだろ」

 学べない、場、か~。

 このコトは、もう、テレビ局に限ったことではないな。

 この、ヤタラと危うさが漂う現代社会の中で、学校も職場も、家庭も、ヘタをしたら宗教までも、ズルズルと、学びの場は、学べない場に掏(ス)り替わりつつあるような気がしてならない。(つづく)