ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.888

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と十九

「ナイモノハナイ ノ イミ ト フカミ ト」

 地方のある町と、あるデザイナーとの対話の中から生まれた、印象的なある言葉がある、と、語り始めたAくん。

 「ナニ気に見ていたテレビ番組でナニ気に耳にした、というそのナニ気ない言葉とは」

 「言葉とは?」

 「ないものはない」

 ん?

 「この『ないものはない』。シンプルな言葉なんだけれど、コチラ側の意識のもちようひとつで、その意味合いも深みも変わってくる」

 んん?

 「ないものはない、の、その意味を、その生みの親であるデザイナーが、ユルリと、それでいて力強く、語っているわけよ」

 そう言いながらAくん、ナニやらイロイロと落描きされた紙切れのそのスミの殴り書きを指差して、「ちょっと読んでみてよ」、と。

 かなりの殴り書きで、読み辛さは相当なモノなのだけれど、ググッと最初から惹き付けられる。

 

 僕もローカルに住んでます。

 条件がいいところではない。

 しかし「良し」も「悪し」もその土地の個性だと思うのです。その個性の上に、生きていく生き方を考える。

 それが「ユタカ」なことです。

 もっとほしい、もっとほしい、もっとほしいと言っている人間が、なんだか変なことをしているような気がしてる。

 「ないもの」は、

 なくていいんじゃないの?

 「大事なもの」が、

 ここに全部あるんじゃないか?

 「ないものはない」

 

 「まだもう少しあったのだけれど、書き留め切れなかった。ただそのラストで彼は、『コレは、この町の本質でありながら、地球全体の本質ではないのか』、と、締め括るわけ。ココが肝。この肝を理解せずして、政治家たちが、安易に、『この町を見習いましょう』などと宣ったところで、そんなもの、全くもって筋違い、意味がない」

 ・・・。

 一つ、一つだけ、どうにか私なりに理解できたコトがある。

 ないものはない。この言葉は、けっして、地方における単なる「町おこし」「村おこし」といったものに向けての言葉ではない、ということ。むしろ、世界中の、ナンでもあると思われがちな、恵まれた、そんな「都会」という空間に住むピーポーたちこそが、その胸に刻まなければならない言葉であるような気がする。そして、飛躍し過ぎと言われてしまうかもしれないが、とくに、圧倒的な権力を握るピーポーたちが、この言葉を胸に刻むことができてさえいれば、コレほどの開発による環境破壊も、コレほどの力付くによる命もモノも奪い取るような戦争も、起こらなかったのでは、と、思えてならないのである。(つづく)