はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と百と六
「ヤマワラウ ヤマシタタル ヤマヨソオウ ヤマネムル」
「山笑う、山滴(シタタ)る、山粧(ヨソオ)う、山眠る、んだよな~。わかるかい、この感性」
「わかります、わかりますとも」
おそらく、古き中国の哲人か詩人か画家たちの中から生まれたであろう感性が、表現が、古きこの国に伝わり、さらに、俳人たちによって磨かれ、会心の一撃に仕立て上げられた、のであろう。
「僕はね、この、古くから脈々と伝わり続けてきたこの国のこの感性を、あらん限りの敬意を込めて、『和感』と呼ばせてもらっている」
「和感?、ですか」
「そう、和感。そして、そんな数ある和感の中の屈指のS級和感が、この表現だと思っているわけ」
たしかに、その和感なるモノに裏打ちされた、素晴らしく美しい表現だと、私も思う。そういった奥深い表現は、世界中を見渡しても、そうあるものではない。
山笑う。
山滴る。
山粧う。
山眠る。
そして、眠っていた山は、春の訪れとともに、再び、笑う。
この感じ、もちろん、充分に、「人」にも当てはまる。
人笑う。
人滴る。
人粧う。
人眠る。
そして、しばし眠っていた人も、きっと、必ず、再び、笑う日を、笑える日を、迎えるはずだ。
(つづく)