ガッコ ノ センセ ノ オトモダチ vol.857

はしご酒(Aくんのアトリエ) その百と百と八十八

「ヨウカイ ノラリンクラリン」

 学校の先生をさせてもらっている時にも、時折、感じたことなのだけれど、シモジモである善良な一般ピーポーたちによる指摘やら要望やら糾弾やらを、真っ向からドンと受け止めるのではなく、いかにして、酔拳のように、煙(ケム)に巻くように、上手い具合にノラリクラリと受け流せるか、の、その技が、どれだけ秀(ヒイ)でているか、で、シモジモじゃないエライ方々のその評価が決まったりする、みたいなことがあるんだよな~、と、一気に語りまくり倒したAくん。

 酔拳のように、煙に巻くように、ノラリクラリと、か~。

 そんなAくんの「ノラリクラリ」論に耳を傾けているうちに、なんとなく、学校の先生は学校の先生で、それなりにイロイロと辛いコトがあったりするのだろうな。とくに、Aくんみたいなタイプの先生は、そうなのだろうな。などと思ったりする。

 「人知れず近付いてきて、耳元で囁(ササヤ)くわけよ」

 ん?

 「まともに聞いちゃ~ダメだよ~。いちいちまともに受け止めていたら、そうした声と、上の人たちとの狭間で板挟みになっちゃって、ニッチもサッチもいかなくなるよ~。ヘタしたら、もうソコにいられなくなるよ~。ダイヘンだよ~」

 んん?

 「もっと、もっと、ノラリンクラリン、ノラリンクラリン、うまくヤレよ~、うまくヤレよ~、と」

 んんん?

 「聞こえてくるわけよ。よ~よ~よ~よ~と妖怪ノラリンクラリンの甘い囁きが」

 な、なんという妖怪だ。

 その甘さも、きっと、和三盆のような上質の甘さなのではなく、サッカリンやチクロのような安心できない怪しげな甘さなのだろう。

 そういえば、国会の答弁などでも、やたらと、ひたすら「読む人」を目にする。アレも、ひょっとすると、その耳元で、その妖怪が囁いているのかもしれない。

 「もっと、もっと、ノラリンクラリン、ノラリンクラリン、読んどけよ~、読んどけよ~」、と。(つづく)